第19・20話
★思い出があれば……
兄妹であることがわかり、別れるふたり。
公園から出て来る時、ユジン(チェ・ジウ)は言う。
「私はあなたを愛していた。そのことを覚えていてね。私は絶対に忘れない。思い出は私のものだから、ひとつ残らず覚えておくわ。だから、あなたも私のこと覚えていてくれる?覚えていてくれるだけでいいの」
思い出の力。
人は現在がいかにつらいものであっても、輝く思い出があれば生きていけるのであろう。
人生は思い出作り。
第20話ではチュンサン(ペ・ヨンジュン)も思い出を拠り所にして生きていこうとする。
ニューヨークへ旅立つ前の日、チュンサンはユジンを呼び出して言う。
「あの海辺の幸せな思い出を最後に、お互いの笑顔だけを覚えていよう」
失明する可能性が高いためユジンの顔をしっかり頭に焼きつけようとして見つめる。
「ただ見ておきたくて。二度と君の顔が見られないかもしれないから」
考えてみると、人は人と過ごす一瞬一瞬を何とおろそかに生きていることだろう。
笑顔で過ごす瞬間瞬間が大変貴重なことであるのに、それらを当たり前のことにしてしまう。
チュンサンの様に瞬間瞬間を心に焼きつけようとして生きれば、もう少し有意義な人生が送れるのではないか。
また、美しい記憶のない人生は悲惨である。
★家
ニューヨークに旅立つ日、チュンサンはサンヒョク(パク・ヨンハ)と留学するように言う。
誰よりもユジンのことを思っているサンヒョクに託せば、ユジンは幸せな人生を送れると思っているからだ。
チュンサンは言う。
「僕のために君が幸せになるよう努力して」
失明する自分はユジンにとって負担でしかない。
それがこの様な言葉になって現れた。
こうして別れるふたり。
しかしチュンサンには満たされないものがあった様だ。
三年後、アメリカから戻ってきた彼は家を建てる。
それはユジンが初めてデザインした家。
その家で暮らすことはユジンの心と繋がること。
なぜならユジンがデザインした家ならユジンの思考、想いが込められているからだ。
うまい。
この作品は本当に小道具の使い方がうまい。
この時、チュンサンは失明してひとりでせりふを語らないが、これだけで彼の気持ちが伝わってくる。
しかもテラスに置かれた花。
それは赤い花で、ユジンの好きな白いバラでない。
これでチュンサンはある現実を認識する。
家は完全にユジンそのものではないのだ。
家でユジンを感じたいと思ってもどこか違っている。
その寂しさ。
この寂しさを映像は静かな波の音だけで穏やかに描いていく。
ここでチュンサンを号泣させたりしたら興ざめだ。
そして甦ってくるあの言葉。
「好きな人の心が一番の家」
まさかこのせりふがラストでこの様に使われるとは!
この言葉で家がユジンの代わりでしかないことを改めて知るチュンサン。
しかし……。
ラストのやりとりは言葉少ない。
目が見えないチュンサンは人を感じて「どなたですか?」と二度繰り返し、「ユジン……」とつぶやく。
そして抱き合うふたり。
ここでユジンが「この3年間サンヒョクと留学に行っていたけど、彼とは何ともなくていい友だちで……」などと説明したら興ざめだ。
チュンサンが「思い出だけを大事に生きていこうと思ったけど、やっぱり君が必要だ」などと言ったら興ざめだ。
ここはこれだけのやりとりで十分に伝わる。
家のシーンから始まる一連の描写は『すれ違い』『ジグソーパズルの小道具』などもあり、練りに練られた名シーンだ。
★思い出があれば……
兄妹であることがわかり、別れるふたり。
公園から出て来る時、ユジン(チェ・ジウ)は言う。
「私はあなたを愛していた。そのことを覚えていてね。私は絶対に忘れない。思い出は私のものだから、ひとつ残らず覚えておくわ。だから、あなたも私のこと覚えていてくれる?覚えていてくれるだけでいいの」
思い出の力。
人は現在がいかにつらいものであっても、輝く思い出があれば生きていけるのであろう。
人生は思い出作り。
第20話ではチュンサン(ペ・ヨンジュン)も思い出を拠り所にして生きていこうとする。
ニューヨークへ旅立つ前の日、チュンサンはユジンを呼び出して言う。
「あの海辺の幸せな思い出を最後に、お互いの笑顔だけを覚えていよう」
失明する可能性が高いためユジンの顔をしっかり頭に焼きつけようとして見つめる。
「ただ見ておきたくて。二度と君の顔が見られないかもしれないから」
考えてみると、人は人と過ごす一瞬一瞬を何とおろそかに生きていることだろう。
笑顔で過ごす瞬間瞬間が大変貴重なことであるのに、それらを当たり前のことにしてしまう。
チュンサンの様に瞬間瞬間を心に焼きつけようとして生きれば、もう少し有意義な人生が送れるのではないか。
また、美しい記憶のない人生は悲惨である。
★家
ニューヨークに旅立つ日、チュンサンはサンヒョク(パク・ヨンハ)と留学するように言う。
誰よりもユジンのことを思っているサンヒョクに託せば、ユジンは幸せな人生を送れると思っているからだ。
チュンサンは言う。
「僕のために君が幸せになるよう努力して」
失明する自分はユジンにとって負担でしかない。
それがこの様な言葉になって現れた。
こうして別れるふたり。
しかしチュンサンには満たされないものがあった様だ。
三年後、アメリカから戻ってきた彼は家を建てる。
それはユジンが初めてデザインした家。
その家で暮らすことはユジンの心と繋がること。
なぜならユジンがデザインした家ならユジンの思考、想いが込められているからだ。
うまい。
この作品は本当に小道具の使い方がうまい。
この時、チュンサンは失明してひとりでせりふを語らないが、これだけで彼の気持ちが伝わってくる。
しかもテラスに置かれた花。
それは赤い花で、ユジンの好きな白いバラでない。
これでチュンサンはある現実を認識する。
家は完全にユジンそのものではないのだ。
家でユジンを感じたいと思ってもどこか違っている。
その寂しさ。
この寂しさを映像は静かな波の音だけで穏やかに描いていく。
ここでチュンサンを号泣させたりしたら興ざめだ。
そして甦ってくるあの言葉。
「好きな人の心が一番の家」
まさかこのせりふがラストでこの様に使われるとは!
この言葉で家がユジンの代わりでしかないことを改めて知るチュンサン。
しかし……。
ラストのやりとりは言葉少ない。
目が見えないチュンサンは人を感じて「どなたですか?」と二度繰り返し、「ユジン……」とつぶやく。
そして抱き合うふたり。
ここでユジンが「この3年間サンヒョクと留学に行っていたけど、彼とは何ともなくていい友だちで……」などと説明したら興ざめだ。
チュンサンが「思い出だけを大事に生きていこうと思ったけど、やっぱり君が必要だ」などと言ったら興ざめだ。
ここはこれだけのやりとりで十分に伝わる。
家のシーンから始まる一連の描写は『すれ違い』『ジグソーパズルの小道具』などもあり、練りに練られた名シーンだ。