平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

ロンドンハーツ~麒麟・田村ハッピープロジェクト

2007年12月26日 | バラエティ・報道
 「ホームレス中学生」の麒麟・田村へのお詫びのためにロンブー淳が行ったのが『ハッピープロジェクト』!
 これは麒麟・田村が美女たちにモテモテになるというもの。
 しかし田村がいい気になって四股かけたことで淳が怒り……。

 「ブラックメール」もそうだが、この企画のコンセプトは『のぞき』である。
 カメラを通して恋愛に右往左往する人間の姿を観察する。
 視聴者は司会者らと共にそれを楽しむ。
 「あいのり」も同じコンセプトだ。

 このコンセプト、別の視点で見れば残酷である。
 視聴者は司会者らと共に右往左往する人間を上から見ている。
 天上で神様が人間のすることを「愚かよのぉ」と見下ろしている様に。
 動物園の檻の中の動物を見ている様に。
 しかしテレビとは「のぞきからくり」、そういう媒体だ。
 考えてみればドラマだって人の生活をのぞき見ている様なもの。

 さてこうして観察の対象にされた麒麟の田村。
 まず、この「のぞき」のコンセプトが嫌悪にならないのは司会のロンブー淳の人柄、芸に拠る。
 いたずらっ子をそのまま大人にした様な淳が仕込んでいるから許される。
 また悪戯をしてしょうがない、みたいな感じになる。
 それは「あいのり」で久本雅美が司会をしているのも同じ。
 恋愛下手をネタにしている久本さんがやっているから許される。

 あとは恋愛ってスマートなものでなく泥臭いものだってことがわかる。
 メイクのエリカに凝視された時のうろたえよう。
 おしゃれなレストランで金属で止まったナプキンを外さないで使ってしまう。
 かっこつけても下心見え見え。モデル・マイコの家に行けると思ってドキドキしているが仕事の電話が入って(寸止めされて)落胆。
 叶姉妹プロデュースの霧子が本命だが出来る限り多くの女性とつき合いたい。
 これが恋愛の現実だ。
 こうして我々は男心、女心を学んでいく。

※追記
 同時並行で「爆笑問題の証人喚問」(日テレ)を見た。
 そこで横峰パパがマスコミの報道のあり方に激怒。
 本音トークは嘘くさくなくて面白いのだが、そこに表現力や芸がないとマイナスになってしまう。
 今回の横峰パパはまさに感情的に怒っているだけ。格好悪い。
 この点、同じ激怒でもテリー伊藤さんらは芸になっている。
 見え方が違う。
 テレビを知り尽くした人間とそうでない人間との違いである。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする