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ヒロシマ・ナガサキへの時系列

2012年08月30日 | 社会、読書
原爆の投下は正しかったと言う人は少なくない。
投下したアメリカ人は勿論、日本人にも
戦争を早く終わらせるためにはやむを得なかったと。

本当にそうだろうか?

例えば、1945年の早くから日本が降伏のための仲裁を
ソ連(日ソ不可侵条約を結んでいた)に依頼していたが、
ソ連がのらりくらりと受け流していたことなどが
既に明らかになっている。
連合国側がそのことを知らないはずはない。
日本の物資が底をついていることも知っていた。


原爆投下に至るできごと(藤原正彦著「日本人の誇り」参照)

1944年9月 ルーズベルト大統領とチャーチル首相の会談
   開発中の原爆を日本に投下することが決定される。
   ドイツは対象から外される。
1945年5月 原爆投下実行部隊がテニアン島へ移動
   ルースベルト大統領の指示で編成された実行部隊は、
   秘密の投下訓練をユタ州で行っていた。
1945年7月16日(ポツダム会談前日) ニューメキシコで原爆実験成功
   トルーマン大統領(ルーズベルトの後継者)はこれを知り大喜び。
1945年7月17日 ポツダム会談開始
   トルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)
1945年7月25日 原爆投下命令
   トーマス・ハンディ大将(陸軍参謀総長代理)がトルーマンの承認を得て
   「8月3日以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下せよ」
   との命令を下す。
1945年7月26日 ポツダム宣言発表 米英中(のちにソが加わる)
1945年7月28日 ポツダム宣言を拒否(鈴木貫太郎首相)


ポツダム宣言の発表以前に原爆投下命令が下されていたとは(呆)。

その上、万が一にも日本があっさりポツダム宣言を受諾しないよう
当初はポツダム宣言の草案にあった「国体護持」の言葉を削除した。

そうまでして原爆投下をした目的は二つ。
実際の威力実験とソ連への威嚇。
広島と長崎では原爆のタイプが違うことはよく知られている。
実験だから、2種類それぞれを試したかったのだ。

何も都市の上に落とさなくても威力を示すことが出来る、とアインシュタインを初めとする科学者達が反対しました。アイゼンハウアー将軍さえ7月20日に、トルーマン大統領やスティムソン陸軍長官に「日本はすでに敗北しており原爆はまったく不必要」と進言していました。(日本人の誇り p70)


原爆投下は仕方がなかったとか
日本が間違った戦争をしたのが悪かったのだとか
日本がさっさと降伏しなかったせいだとか
そのような考えは誤りだ。

そもそもドイツは最初から原爆を落とす対象とされなかった。
これは日本人を含む有色人種を、
同じ人間とはみていなかったこと(人種差別)の証左だと思う。


アメリカは事実を事実として認め、
自分たちの犯した「人道に対する罪」を心から反省して欲しい。

付け加えると、
いわゆる「南京大虐殺」はヒロシマ・ナガサキを「相殺」する目的で
極東軍事裁判において、アメリカがでっち上げたものだ。
南京事件と言われる通常の戦闘行為があった。
単にそれだけのことだったのに。


私たち日本人は、WGIPの呪縛から、
一日も早く完全に解き放たれなくてはいけないと強く思う。

自信と誇りを、取り戻そう! 
コメント
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