桃井章の待ち待ち日記

店に訪れる珍客、賓客、酔客…の人物描写を
桃井章の身辺雑記と共にアップします。

2009・5・7

2009年05月08日 | Weblog
ドキドキしていた。朝起きた時から、モーニング珈琲を飲んでいる時から、期待と不安が入り交じっていた。ガッカリしたらどうしよう、いや、そんな筈はない、俺が望んだ結果がそこにはある筈だと自分に言い聞かせて部屋を出て、店に向かう。店の階段を一歩一歩降りて行く。そしてドアの鍵を開けて、明かりを点けた。すると、そこには見慣れない光景が広がっていた。それまでのコレドとは違う、何処か垢抜けした、洒落た空間が目に飛び込んできた。俺の口から思わず「やったぁ」と独り言がでた。そう、やったのだ。売上不振が続き日々の運転資金にも困る状況だというのに、150万以上ものお金を使って踏み切った店内改装計画。それが成功したと実感した瞬間だ。物置状態になっていた控室を潰して六人は座れるテーブル席がそこにはあり、壁には増えた棚に洋酒の瓶がズラッと並んでいる。美術デザイナーのHさんを信頼してよかった。さすがプロの仕事だ。店全体の色彩バランスが抜群の効果をあげている。でも、これは賭だ。大金を叩いてこんな空間を作ってみてもお客さんが入ってくれなくては借金だけを抱えることになる。いや、そんなことはない。お客さんだって絶対気に入ってくれる筈だ。いや、しかし……と、午後の一時、新装なった店内のカウンターにしばし座りながら俺は又もやあれこれ煩悶している。
★リスボン日記補遺(旅行中は携帯で日記を書かなくてはいけなくて感激したことや細かい部分を省略しなくてはならなかったので書き足していきます)
4/28
夜の9時過ぎリスボン着。遂にポルトガルに着いたのだという感激がパスポートに入国の判子を貰って沸き上がって来る。もう何十年前になるだろう。壇一雄さんの小説『リツ子、その愛』で、ポルトガルの海辺で漁師に焼いた鰯を貰って食べる描写を読んで以来、いつかこの国に行ってみたいという思いを抱き続けていたのだ。そしてファシズムの影が忍び寄るリスボンの街を描写したA・タブッキの小説『供述によるとペレイラは……』を読んで、リスボンの夜を彷徨ってみたいと思い出したのは何年前のことだろう。活字でしか知らない街だ。でも、活字からリスボンの空気に馴染んだ俺はいつしか死ぬ時が来たら何とかポルトガルに渡って朽ち果ててやろうとまで思い込む様になっていた。処が俺の人生って奴は悲劇的に展開しない様に出来ている。死に場所として思っていたポルトガルに、二度目の新婚旅行として足を踏み入れることになったのだ。空港からホテルに向かうタクシーの中から見るリスボンの街は、新婚旅行の地として似合うのか、終焉の地として似合うのか、俺の中でよく分からなくなっていた。そして着いたコメルシオ広場近くにあるホテル『VincciBaixa』。一年前に出来たというこのホテルの部屋は、メタリックでやたらの鏡の多い、全くリスボンっぽくない部屋だった。