どうしてこんなに色が違うんだろと広島にいた三日間思い続けていた。空の色が違う。海の色が違う。花の色が違う。特に今日、朝食後一人でMの実家の近所を小一時間散歩した時に遭遇した道端に咲く赤い花とその先に見える瀬戸内海と更にその向こうにある空の色のコントラストは最高だった。地元の人にとってみれば見飽きた風景かも知れないけど、俺は何十分もその風景に見とれていた。去年広島に来た時には瀬戸内海の穏やかさにびっくりして、波がない、波がないと騒いでいたけど、今回は色が違う、色が違うと騒ぎ続ける六十歳。さぞかしMのご家族は呆れていただろうけど、Mはこんな風景に囲まれて育ってきたのかと特別な感慨に浸ってもいたのだからお許しあれ。お昼過ぎに空港へ。家族全員で見送りしてくれもんだから何だか外国に旅立つ錯覚にとらわれる。皆で食事していたら、Mの祖父が俺を隣にある地酒を出す店にこっそり誘う。医者からお酒を止められている祖父にしてみれば、俺を口実にしてお酒を飲もうとしたみたいだけど、元高校の数学教師だった祖父と地酒を飲みながら数学の補助線の話や教育の話を閑談した数十分は何ともひそやかで心温まるひとときだった。でも、こうしてゆったりと過ぎて行った広島での何十時間は飛行機の離陸と共に消えて行き、シビアな現実がドッとばかりに俺の前に現れてくる。飛行機が遅れたこともあり、部屋に荷物を置くと同時に店へ出向き、一週間後に迫った『リテイク』(如月皐バージョン)のリハ。目の前で繰り広げられる如月さんの色っぽい演技に演出家としてなにか云わなくてはならないのだけど、気持ちはまだ広島に残っていて、的確な指示を出すことができなかった。俺はどの位経ったら「東京人」に戻るのだろうか?