田中正造は国会議員であったときは足尾鉱毒事件の問題解決に奔走しました。足尾鉱毒事件の被害地は関東一円におよび国会議員の選挙区はずいぶんとまたがっています。他の選挙区でも自分の選挙区ということで動いた議員はいたようですが、田中正造の動き方は別格でした。何よりも田中正造は選挙目当てで動いたのではなく、真に被害民のために最後まで闘い、国会で解決が難しいと思うと議員を辞職して天皇に直訴までしました。富国強兵のもの国が経済優先で足尾銅山を守ったことと真っ向から対立して被害民の命を守る田中正造の姿勢を現代は学ぶべきだと思います。
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