11月に白馬に行く時の新幹線の中で見た雑誌 (トランヴェール) に、丁度「塩の道」千国街道の記事がありました。 
それを読んで興味を覚え、ホテルのスタッフの方に色々と教えていただいて、飯森界隈の石仏群に行ってみました。
とは言うものの、地元の方に聞いても、普段通りすぎているだけの場所で、特に郷土史家でもなければ、なかなか分かるものではありません。
雑誌にある「空峠(そらとうげ)」という地名も現在は使われず、かろうじて「みそら野(深空)」という地名に名残を留めている、、、といった次第。
スタッフの方々に観光協会などまで問い合わせていただき、オリンピック道路から八方に入る道路の「みそら野」交差点の際にあるらしいということが分かりました。

空峠の石仏群は、交差点から10メートルほど集落の中に入った桜の樹の下に、半分雪に埋まってひっそりと立っていました。
そこから少し南へ下った、飯森集落の中にある長谷寺(ちょうこくじ)。

曹洞宗のお寺さんとありましたが、重厚な山門をはじめとする伽藍が禅宗の様式で整然と並んでいました。

山門手前の可愛らしい石仏。
大糸線の踏切を越え、R148にでた所にも石仏群がありました。
案内板に「北原庚申塚」とありました。

昔の葬祭場や馬頭観音などもあり、牛馬や人手に頼っていた昔から交易の盛んだったことがしのばれます。
ところでこの看板の「四十物(あいもの)」。
干魚や塩魚のことと説明はあるのですが、何で「あいもの」??
元々は塩乾物などのような、「始終あるもの」の「しじゅう」が「四十」になってしまったらしく、いまでも北陸地方では「四十」と書いて「あい」と読む例がおおくあるとのことで、そこから塩乾物などのようないつでもあるもの(始終あるもの)のことを「四十物」・・・「あいもの」となったようです。

11月23日に行った時は、積雪はまだ石仏群の足元までしか達していませんでしたが、今頃はもうスッポリ雪に覆われていることでしょう。

それを読んで興味を覚え、ホテルのスタッフの方に色々と教えていただいて、飯森界隈の石仏群に行ってみました。
とは言うものの、地元の方に聞いても、普段通りすぎているだけの場所で、特に郷土史家でもなければ、なかなか分かるものではありません。

雑誌にある「空峠(そらとうげ)」という地名も現在は使われず、かろうじて「みそら野(深空)」という地名に名残を留めている、、、といった次第。
スタッフの方々に観光協会などまで問い合わせていただき、オリンピック道路から八方に入る道路の「みそら野」交差点の際にあるらしいということが分かりました。


空峠の石仏群は、交差点から10メートルほど集落の中に入った桜の樹の下に、半分雪に埋まってひっそりと立っていました。
そこから少し南へ下った、飯森集落の中にある長谷寺(ちょうこくじ)。


曹洞宗のお寺さんとありましたが、重厚な山門をはじめとする伽藍が禅宗の様式で整然と並んでいました。

山門手前の可愛らしい石仏。

大糸線の踏切を越え、R148にでた所にも石仏群がありました。
案内板に「北原庚申塚」とありました。

昔の葬祭場や馬頭観音などもあり、牛馬や人手に頼っていた昔から交易の盛んだったことがしのばれます。

ところでこの看板の「四十物(あいもの)」。
干魚や塩魚のことと説明はあるのですが、何で「あいもの」??

元々は塩乾物などのような、「始終あるもの」の「しじゅう」が「四十」になってしまったらしく、いまでも北陸地方では「四十」と書いて「あい」と読む例がおおくあるとのことで、そこから塩乾物などのようないつでもあるもの(始終あるもの)のことを「四十物」・・・「あいもの」となったようです。


11月23日に行った時は、積雪はまだ石仏群の足元までしか達していませんでしたが、今頃はもうスッポリ雪に覆われていることでしょう。

