
「形あるものは崩れ落ちる」
という章から。
衰えは人の運命であるーいつか死がやってくる。しかし、人の中の最期のバック・アップシステムが壊れるまでは、そこまでの道を医療によって変えることができる。一気に下る断崖にすることも、穏やかな下り坂にして、生活の中でもっとも大切なことができるようにすることも可能である。医療に携わるわれわれのほとんどがこの可能性を考えていない。特定の個別の問題を取り上げるのは得意であるー大腸がんや高血圧、膝関節炎など、一つの病気を担当させてもらえれば、それに対して何かできる。しかし、高血圧と膝関節炎、他のいろいろな病気を抱えた高齢女性を担当させられたらー今まで満喫してきた生活を奪われるかもしれない高齢女性であるーわれわれは何をしたらいいのかわからず、しばしば事態を悪化させるだけに終わる。
アトゥール・ガワンデ(原井宏明訳);死すべき定め.P.34, 2016.みすず書房
つまり、
個々の疾病に対する治療は
医師なら想定できるけれど、
複数の疾患をもった人に対する対処は、
医学を越えて難しく、
治療に終始してしまうと、
生活全体のQOLは低下してしまう
ものである・・・
本の はしばしに出てくる老年学の専門医は、
アメリカでは300人/年程度しかおらず、
プライマリケア医にその基本的なところを
学んでもらうようアプローチを変えたことも書かれています。
日本では、かかりつけ医を担う家庭医が
老年科医を兼ねることが多く、
アメリカではここまで機能分化しているかと
驚いてしまいます。
高齢者にとって怖いものは死ではない、と超高齢者が教えてくれる。死よりも、いずれ起こってくることー聴覚や記憶、親友、自分らしい生き方を失うことが怖い。フェリックスが私に行ったように、「老いるとは喪失の連続だ」
(略)最後(本文のママ)を考えるのが好きな人はいない。その結果、大半の人は備えをしていない。介護が必要になったときにどう生きるかについては、何をするかにしてももう手遅れというときまで、一瞥する程度でめったに注意を払わない。
同 p.47
これは、高齢者だけではなく、
がんの患者さんも
他の疾病の患者さんも
同じ・・
End-of-Life ケアに関わるようになって、
私が患者さんから教えられたことのひとつ。
『人生には、
考えたくもないようなことを
考えなければいけないことがある・・・』
ケアにあたっていると、本当に、
その通りだと、この大切なことを
思い起こさせてくれるのです。
大切な贈り物です。
写真:Дарья БудичによるPixabayからの画像
必ず訪れる人生には、楽しい思い出が一番大切な財産のような気がします。
叶うのであれば、そんなサポートを医療に望んでいます。
先生の姿勢にはいつも共感しています、ありがとうございます。
頂いたコメント、まさにその通りと思います。医療のための人生ではなく、人生のための医療に他なりません。
優しい応援メッセージ、改めて心に留めたいと思います。
本当にありがとうございました。
aruga
医療の目的は、健康や寿命を延ばしていくことではなく、
人々が幸福に過ごすことができるようにすることにある。
そのICUの看護師さんから
「死ぬまで、とことん医療尽くしにされ、
死ぬに死ねない先生の診療科には
お世話になりたくないわ」
この言葉 σ(^^)に下さい。
使うつもりは ないですが
凄く 気に入った。
忙しいでしょうから レスはいいです
気に入らなければ 殴り込みに来て下さい (^^;;
使う機会があれば、どうぞ、どうぞ!!
その時は、是非、出典としてこのブログ、リンク頂けると嬉しいです!!!
aruga