e-spo Horitaiスタッフダイアリー

e-spo & Horitai スタッフがクラブと堀之内体育館の毎日を思いつくままにお知らせいたします。

自転車でトレーニング

2007-08-16 21:12:07 | Weblog

サブM 森山です。
高木Mに誘発されて一昨日から今日で3日間、青島広域農道に通っています。
小出スキー場入り口→向山グラウンドとジャンプ台の脇を登り→駒見の湯の前を通り農道→堀之内の月岡公園まで。
私の家から、片道約7.5㎞のアップダウンのキツイコースです。

私の相棒は22年前に購入したセンチュリオンというロードバイク、ろくなメンテナンスもしないのによく走ってくれます。購入した当時は、1ヶ月に300㎞は走ってました。トレーニングは六日町から八箇峠を登り、十日町から堀之内に出る、60㎞弱のコースを平均時速28㎞、2時間10分くらいで走ってました。

さて、1日目の14日、駒見の湯を過ぎて本格的な登りが始まったとたんに・・キッ・キツイ。こんなはずでは・・・ ウー、ンガー、前に進まん。思わず足を着くこと2回。やっと登りきったものの、体力も気力も無くそのままUターンで帰宅「今日は暑すぎた」「ウン、暑すぎた」と言い訳しながらエアコンガンガンの部屋でダウン。

これでは、終われないと2日目 15日。
スタートも遅くしてなるべく涼しく4時。やはり駒見の湯を過ぎて本格的な登りになるとキツイ。メチャクチャキツイ登っても登っても坂道。このカーブを曲がれば・・・オゥ、まだ登り坂、次のカーブが終われば・・・ア・アレ、マ・マダ登り。ウォー、チクショー。とがんばり、どうにか登り切ったものの峠に立ったオレ「これからどぉしよう」「この坂を下って月岡公園に向かえば、また登りが待っているし・・・」
でも、昨日よりは先に行きたい。と、いうことで何とか月岡公園まではイッタものの、ここで気力はなくなり、帰りは下の平な道で帰宅。

よーし、と気合いを入れて3日目の今日16日。スタートは4時30分。
月岡公園まで往復しました。去年は軽かったのになぁ。
タイム:55分
走行距離:15.4㎞
アベレージスピード:16.5㎞
マックススピード:56.5㎞
長い登りで気づいたことがありました。前を見ない事です。(危ないのでときどき見る)登っても登っても先が見えない坂道はキツイ。ときどき前を見るとオッ案外進んでる感じ。「もう1段軽いギアが欲しい。」

        

長い登り,メーターは時速5㎞かな。登りでヒーコラ言いながら携帯で撮りました。

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ちょっぴり涼しくなる体験談「番外編」

2007-08-16 18:57:45 | Weblog
暑さに負けないマネージャー木です。

 お盆内は時間が取れるので昨日もサイクルトレーニングに出かけました。第2目標、青島広域農道越えに向けてです。目先を変えて「星空ときめきウオーク」の下見を兼ねて守門まで出かけました。折り返し点まで行くと須原はすぐそこ。足を伸ばして須原駅まで行き帰って来ました。帰りはほとんど下り、ちなみにタイムを計ったら31分で自宅に帰り着きました。次はどこまで短縮できるか新たな目標が出来ました。(オレっていい年こいて何やってんだろう)

 友人に聞いた話です。スキーのインストラクターをしていた頃、スキージャーナルの講習会の講師として11月に富山県の立山に行ったことがあります。たまたま同じスキー場に勤務していた人が立山山岳警備隊に勤務していました。立山は怪談話の宝庫です。

 夜、お酒を持って詰め所に訪ねました。ノッペラボーから遭難者の幽霊まで、ここぞとばかりに聞きだそうとしました。でも彼は立場上そういう話は出来ないと断り、代わりに遭難救助の話をしてくれました。

 剣岳で滑落事故があり救助に向かったのだそうです。普通なら絶対足を踏み入れない場所で、遭難者は途中の岩棚に引っかかっていたそうです。もちろん遺体となって。絶対に行きたくなかった場所でしたが彼が行くことになり、氷雪の岩場をザイルで下りました。遺体収容は尾根筋まで担ぎ上げなければ方法が無かったそうです。大きなキスリングと言うザックに収容しようとしましたが、遺体は氷付いていたそうです。

 彼は遺族には絶対見せられないと思いながら手を合わせ「申し訳ない。勘弁してくれ」と言いながら、狭い岩棚の上で命がけで遺体にのしかかり二つに折り曲げたそうです。その時のバキッという音が暫く耳に付き離れなかったそうです。

 彼はもっと悲惨な数々の遭難現場に立会い思ったそうです。現場は家族には絶対見せられない。美しい風景を見たい気持ちや冒険心を満たすためにはあまりにも代償が大きすぎると。
 
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子供が溺れるとき

2007-08-15 13:37:42 | Weblog
さぶM 森山です。
福島県内のプールで子供が亡くなりました。いつの間にか溺れていて監視の方が気づかなかったそうです。

一般に「溺れる」というと、バチャバチャと水面でもがく様に思われがちですが、子供(特に小さな子供)が溺れるときは、
「スー」と水の中に吸い込まれるように沈んで水中でもがく事が多く、ただ漠然とプールの水面を視ていても気づきにくいんです。
プールや海に子供を連れて行く皆さん、くれぐれも子供から目を離さないようにしましょう。

先日、北部プール開場前に安全確認をしていたら、ナント プールの中で温度計が割れているではありませんか。
一人で潜って破片を探しますが、水底に張り付くようにしないと透明なガラスを見つけることが出来ません。私は水中で4分息を止めていることが出来ますが(プチ自慢)身体が浮いてしまってなかなか破片を見つけられません。
そうしている内に、時間が来て管理員が出勤してきたので上から身体を踏んづけてもらい、3人掛かりで数個の破片を見つけました。
温度計は、プールの隅で割れていたので比較的簡単に破片を見つける事が出来ましたが、これがプールの真ん中で割れたらとても見つからないでしょう。
潜りっぱなしで、暑さを忘れた1時間でした。


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ちょっぴり涼しくなる体験談「その5」

2007-08-14 15:54:37 | Weblog
ワープする「5次元宇宙」につながるマネージャー木です。

 リサ・ランドールと言う女性物理学者をご存知ですか?先日NHKのニュースで報道されていたのですが、今までに全く無かった次元を実験の中で見つけた人です。他の学者もそれを実験で証明できるのだそうです。実験の中では、ある物質が忽然と消えてなくなるのだそうです。5次元の世界でなければ説明の出来ない現象です。

 ドラエモンも真っ青のこの世界、ひょっとして5次元の世界から逆に何かが現れたらばと考えると心霊現象も説明できるのかもしれません。(真剣に科学をしている人、ごめんなさい)この科学者、数式を全く乗せない科学書を出版しベストセラーなんだそうです。とびきりの美人科学者というおまけまで付いて。

 私の霊体験は紛れも無い事実なんですが、なぜか恐怖心は全くわきません。おまけにこんな話まで聞いてしまいますと、さらに霊体験をしたくなります。

 森山サブMのコメントで「木Mは霊体験が多すぎる。稲川淳二かぁ!」とありましたので霊体験はひとまずおしまいです。以外のちょっぴり涼しくなる話続けます。

 高校時代、山岳部でした。これでも登山の国体予選に出たこともあります。私達の学校が当番校で新潟県の登山会が開かれたときの話です。会場は魔の山と恐れられ多くの遭難者を出した谷川岳。3週続けて準備に行きました。夜遅くに行くときはマチガ沢出会いの小屋(無人)に泊まります。この3週間立て続けに遭難事故がありました。
 ある日下山してみると私の寝ていた蚕だなに2人の遭難遺体が載せられ検視を受けていました。そこは山岳警備隊の管轄で宿泊も出来る場所だったのです。

 それ以降、そこに宿泊しなくなったことは言うまでもありません。(今はどうなっているかはわかりませんが)
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ちょっぴり涼しくなる体験談「その4」

2007-08-13 10:21:06 | Weblog
 老骨に鞭打つマネージャー 木です。

 昨日からEスポは夏休み。スタッフ諸君は休日を楽しんでいることでしょう。またまた全国最高気温が出ましたねえ。魚沼市37.9度。星君ご苦労様でした。

 そんな猛暑の夕方、念願の道光高原を自転車で越えてきました。泉沢まで登っていくと田んぼ消毒に向かうおじさんが立ち止まりニコニコしながら「がんばるねえ」と声をかけてくれました。2年前地震で道路が崩壊していて大平牧場付近でやむなく引き返したことがあったので、堀之内まで通れるかと聞いたところ、「道は直ったども、おめえさん、そら無理どお、自転車じゃいがんねいの」と止められてしまいました。そう言われると余計意固地になるのが頑固じじい。1回もストップしないで山越えをしてきました。いい汗かきました。

 4年前、女房の親父さんが亡くなりました。今日明日かと言う日に、ベランダに巣立ったばかりで飛べないツバメがやってきました。どうやって来たのか不思議でした。2日間ベランダに居続けました。その間数羽の仲間が心配して見に来ています。義父が亡くなった朝、その姿は見えなくなっていました。不思議な出来事でした。

 ところが、今年の正月(しょうつき)命日の数日前、同じように巣立ったばかりのツバメの子供がベランダに姿を現しました。思わず心の中でつぶやきました「お帰りなさい」と。
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流星群と彗星と隕石のはなし

2007-08-13 05:15:58 | Weblog

サブM 森山 の宇宙
実は少し前に、知っている人は知っているニュートンという雑誌にはまっていたいたことがある。ふっふっふ。

ペルセウス座流星群
13日夜中の1時30分ころ、家の息子が帰ってきて流星が凄かったと言っていた。
そう言えば、ペルセウス座流星群が今日ピークだったっけ。
それでは と、ワイフと2人で夜中にも関わらず流星見物に出かけた。どこにしようか迷ったがが浦佐の八色の森公園?。着いたのはちょうど2時だった。

車の外に出てみると意外にも肌寒く、ボンネットに寝転がると背中が温かくて気持ちよかった。30分で2人併せて15個、あと10分で5個、計20個の流星を見ることが出来た。でも、あちこちから出てくるので見落としてしまうのも多い。方向がメチャクチャなんで、きっと3分の1位はペルセウス座流星群じゃないと思う。

ボンネットに寝転がって星空を見上げながら、「天の川ってなんだか知ってる?」「銀河系の形が・・・」   「流星群と彗星の関係って・・・」なんて蘊蓄をたれても結婚21年のワイフはたいして関心もなく「フーン」と上の空。もっと若ヶりゃロマンチックにもなるんでしょうね。

ハレー彗星
そう言えば、ハレー彗星ってどうなったんでしょうねぇ。1986年の地球接近後の1991年に突然光を増したことが分かっているんですが・・・。爆発、もしくは分裂したのかも知れない。今度来るのは2061年の7月かぁ。

火球 (隕石です)
①10数年前スポーツコムスキー場で天空を横切るのを見たことがあります。
②10年前に関越自動車道の熊谷付近で私の車のすぐ脇の高速道路の外側に落下   するのを見たことがあります。これにはビックリ。というかビビリました。

UFO
①30年くらいまえのこと。夜8時くらい(大雪の年だった)屋根の雪下ろし中に、何十もの飛行物体がヒカリながら空を横切っていた。国内線の飛行機からも目撃されたが、たしか人工衛星の破片といわれた。
②同じく30年ほどまえ、駒見山の上空にじっと止まっている光る物体を目撃。しばらくするとスーと消えた。ナンだったんだろぉ。

以上、星空日記でした。


 

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ちょっぴり涼しくなる体験談「その3」

2007-08-12 16:20:19 | Weblog
無駄話の多いマネージャー 木です。

 今日、午前中、星俊寛 率いるEスポフットサルチームは炎天下の雪のコロシアムでフットサルを楽しんでいました。カメラを届けがてら覗いてきたのですが、大人から女性・高校生・中学生の参加者でなかなかいい雰囲気でした。37度の予報が出るほどの酷暑の中でしたので、熱中症に気をつけるよう伝えたのでしたが釈迦に説法、健康運動指導士の星君は短い試合時間にたっぷりの休憩と、細心の注意での進行をしていました。芝生の上は狭い体育館と違いのびのびと楽しそうで、もう少し若ければ参加したい気分です。

ちょっぴり涼しくなる体験談「その3」

 それは只見町からの60キロナイトウオークをやっていたときの話です。60里越え出口の休憩所役員勤務を終え、午前1時近くに何台かの車に分乗しR252を下り始めました。私は体指の同僚H君の車に二人で乗っていました。人家から遠く離れた明かりの全く無い漆黒の闇の中から突然女性の姿が浮かび上がりました。左側通行で峠を登ってきます。上下黒のタイトな服装の超ミニスカートに高いハイヒールを履いていました。いかにも水商売風ないでたちです。不思議なことに顔は不鮮明で覚えていません。

 H君は車のスピードを緩め、私が「見た?」と訊ねると、「うん、見た」と小さい声で答えました。その後、振り返ったのですが姿はありませんでした。
 片側は深い山、もう一方は深い谷です。それでもと思いゆっくり走り脇道に車が置いて無いかと探しながら走ったのですが、そんな状況の現場ではありませんでした。

 途中に立ち寄った休憩所で全部の車が集合したので聞いてみたのですが、誰も見た人はいませんでした。前日転落死亡事故があったそうですが、死亡したのは男性でその人ではありません。あれだけ山深い場所であれば、人知れず亡くなった女性がいたのかもしれません。それ以降、その現場を通るときは手を合わせるようにしています。   合掌
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ちょっぴり涼しくなる体験談「その2」

2007-08-11 19:44:46 | Weblog
相撲に疎いマネージャー 木です。

昨日はほしぞらトキメキウオークの最終打ち合わせがありました。準備万端、後は本番を待つのみです。

 昨日はスタッフのお父さんが丹精した枝豆を頂きました。最初クラブハウスに何で草の束があるのかと不思議でしたが、枝豆と聞き「ウムッ!これはただものではないぞ」と食いしん坊の私めは直感しました。その葉っぱは鮮度を保つためにと理解できたからです。体指の会議前に豆をもいで帰ってみると3分の2が消えていました。
 女房の仕業です。ゆでたときから香りが違っていて、食べ始めたらとまらなくなったのだそうです。
 なるほど。香り、甘みとも絶品でした。残り3分の1、グラスを傾けながら大事に大事に食べつくしました。お父さん!ご馳走様でした。

 本題です。私は25で父を亡くしました。なくなった晩は、5人兄弟の末っ子ですから様々な用事を言いつけられました。住宅とは別の無人の店に準備に行った時です。誰もいないはずの二階から足音が実に鮮明に聞こえてきます。

 とっさに「ドロボー」と思い二階の鍵を取り出し上がっていきました。しかし、その途中「もしかしたら親父かな」との思いがよぎり、それなら会ってみたいと思うようになっていました。恐怖心より期待で鍵を開け非常灯だけの薄暗い室内に目を凝らしたのですが、残念ながら親父の姿はありませんでした。

 「足音だけでもったいぶらずに、足が無くてもいいから姿みせろよ」とつぶやきながら2階を降りました。お葬式の日、近所の人から「お父さん、前の日に通りの向かいから2階を眺めていたよ。普段そんな姿は見たこと無かったのにねえ。やはり何か知らせがあるのかねえ。」との言葉に大いに納得させられました。
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相撲の話題

2007-08-11 16:23:59 | Weblog

サブM  森山でゴンス。ごっちゃんです。
星くんから相撲の話題が出るとは、チョット以外でゴンス。
ワシも相撲ネタで書いてみるッス。

朝青龍関の相撲は、ワシも好きでゴンス。あの気合いと集中力は横綱の品格云々言う前に、さすが横綱という迫力でゴンス。

それよりもー!ワシゃぁ相撲協会に一言、言いたいッス!
ナンで土俵を直さんのでゴワスカ。 力士の平均体重は、ここんとこ50年で1.5倍くらいも増えていて、体重の増加がそのまま怪我につながってるのは明らかでゴンス。
俵の外がすぐに急傾斜で約60センチも低い、ここに相手力士と絡まって、合わせて300㎞の体重が加速して落ちてゆけば、例えば足1本で着地して無事にすむわけがないんでゴンス。しかも落ちながら砂かぶりの客に怪我させないようにしなきゃならないんでゴンス。何人の有望力士が膝の怪我で泣いていることか。

相撲協会は、将来ある若者をなんと心得ておるんでしょうか。ちなみに昭和6年(1931)4月29日の天覧相撲から現在の15尺(4メートル55センチ)に広げたでゴワス。土俵を広げた理由は「相撲独特の瞬間的勝負の醍醐味(だいごみ)を少しでも長くみてもらうためだったそうでゴンス。

古き伝統は守るべきと思うでゴンすが、力士がいなけりゃ相撲はできないでゴンス。
相撲協会。はっけよーい  のこった のこった。

ゴンスが多くてスマンでゴンス。

 

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朝青龍

2007-08-11 14:18:20 | Weblog
事務局 小結クラスの星です。

世間を騒がせている横綱・朝青龍ですが、今後どうなるのでしょうか。
優勝21回の大横綱がこのまま引退に追い込まれそうな流れを感じます。
(マスコミの世論づくりによって)

「横綱としての品格に欠けている。相撲は日本の文化であり、横綱であれば力士の鏡でなければならない。」
との声が多く聞かれます。

が、ここ数年一人で相撲界を支えたのは朝青龍です。
実力が抜きん出てているのは明らかです。
真摯に相撲道に向かわなければ21回も優勝できるわけはありません。

楽しそうにサッカーをしている姿をみると、アスリートとしてのポテンシャルはすばらしいなーと素直に思います。
一緒にサッカーに興じていた中田氏も、
「肘と腰は終わってからも痛がっていた。」
とコメントを出していました。

一般人と違ってトップアスリートなので、あのくらいの動きは出来ると思います。
それくらい普段の稽古は過酷なものだということです。

しかし報道どおり本当に精神的に衰弱していて治療が必要なのであれば、入院するなり薬を投与するなりして、まずは治すことが先決です。



ともあれ、来年また憎たらしいほど強い朝青龍が帰ってくることを望みます。
そして打倒朝青龍を掲げて正統派の力士(日本人でなくても当然良い)が現れると最高ですが。
こうなればエンターテイメントとして相撲界は盛り上がると思います。
(古い相撲ファンには、そんな構図はいらん!といわれるかも?)


がんばれ朝青龍。
また強い姿で帰ってきて欲しいですね。
そして、「また朝青龍が勝ったよ!つまらん!」といいたいものです。




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