プロメテウスの政治経済コラム

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石川島播磨 40年にわたる思想差別 法廷外で「反省」と和解

2007-01-20 19:20:49 | 政治経済
石川島播磨重工業の東京、武蔵、横浜、愛知、相生、呉の六事業所で働く労働者175人が会社側と和解した争議は、日本共産党員や支持者を“企業破壊者”と敵視してきた反共労務政策が石播内部で崩れ去ったということである。石播は、職場の日本共産党を撲滅することを意図した「ZC(ゼロ・コミュニスト)計画管理名簿」を極秘に作成し、公安警察とも連携しながら、40年にわたって日本共産党員やその支持者とみなした労働者を徹底して差別してきた。「ZC名簿」に載った労働者には、職場のインフォーマル組織を通じて「日共は会社を辞めろ」と反共宣伝を強め、「口をきくな」「あいさつするな」「行事に呼ぶな」と“職場八分”にしてきた。徹底した思想差別によって、労働者の切実な要求実現の先頭に立って会社に対しものを申す日本共産党員らを差別・見せしめにすることで労働者の団結を破壊し、自由にものがいえない職場をつくり、労働者全体への支配を強めたのだ。石播は、1975年に4600人、86年には退職強要で7000人の大規模な人減らしをわずか一カ月半で強行し、その後もリストラや企業再編をくり返した(「しんぶん赤旗」同上)。会社施策に合理的説明を求め、反対する共産党が大きな力をもってもらっては困ることは明らかであった。

「大企業の職場に憲法はない」といわれて久しい。基本的人権を定める日本国憲法が公布されて60年、労働者の思想信条の自由を定める労働基準法が公布されて59年がすでに過ぎた。しかし、大企業の労働現場における実態は今日なおこれらの規定とかけ離れている。もともと権利意識が弱くお上の臣民意識が強い日本人に戦前からの「反共」弾圧を思い起させる見せしめをすれば、大多数の日本人を黙らせるのは簡単である。しかし、勢力は小さかったとはいえ、戦前の天皇制権力の凶暴な弾圧にも命を賭け闘った日本共産党の道徳的権威と伝統はなにびとも否定できない。
2002年11月の衆議院厚生労働委員会において、日本共産党の小沢和秋議員(当時)によって、「ZC(ゼロ・コミュニスト)計画管理者名簿」という戦前の特高警察まがいの『共産党員の撲滅』を意図する計画と名簿の存在が明らかにされ、厚生労働大臣に厳正な調査が要求される。更に、翌年の2003年年4月には、参議院の厚生労働委員会において、日本共産党の井上美代議員(当時)が改めて厳正な調査を要求した。このような国会での、石播の憲法や労働基準法に明確に反する「企業犯罪」の追及や裁判での前進に励まされ、労働者や退職者から差別の是正、受けた損害の回復を求める声と運動が急速に広がった。労働者の運動が広がるなかで、ある日、突然に「内部告発」文書として『厳秘』や「マル秘」のハンコが打ってある資料が申告者らに提供されるに至る。「ZC名簿」に続いて、06年8月に「個別管理計画」という内部文書が明らかになった。これらの「資料」は、会社の思想差別政策の存在を決定的に証明することとなった。本社の人事部労働者管理グループが作成した「厳秘」と押印された文書には、労働者名を列挙し、「A」=活動的な党員、「B」=党員とみなした労働者に分け、昇進の上限を指定している。定年になる21年先の等級まで決められている労働者もあった(「しんぶん赤旗」同上)。

反共主義には論理は不要である。権力に逆らうことの怖さを見せつけ、壁をつくればよい。東京の職場のひとりである千々岩(ちぢいわ)榮さんが語っている。会社のレクレーションに当時小学生だった息子を連れていった。競技の後、インフォーマル組織が弁当や飲み物を用意していたが、千々岩さん親子には配られない。「なんで」という子どもに「さあ、街でおいしい物食べよう」と明るくふるまったこともあった。しかし、「たとえ口をきいてくれなくても、気持ちは通じる」と差別されても会社の行事には出席した。会社の運動会で、飲食物の出ない千々岩さんに「おい食べろ」と周りの目を気にしながら、そっと焼き鳥を差し出す労働者もいた。外に飲みにいくと目につくからと、夜、誰もいない部屋で酒をくみかわす場を設けてくれた上司もいた(「しんぶん赤旗」同上)。

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