プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

追悼施設は靖国問題の全面解決ではない

2005-12-28 18:38:33 | 政治経済
小泉首相の靖国神社参拝をきっかけに浮上した無宗教の国立戦没者追悼施設建設構想は来年度予算案での調査費計上が見送られ、懇談会の提言から3年越しの迷走の末、同問題は次の政権への先送りが確定しました。本日(05.12.28)付「朝日新聞」社説は「世論は賛成なのに」とこれを至極残念がっています。しかし、靖国参拝批判をかわすために新施設建設構想を持ち出してみても、「歴史認識=戦争責任」を明確にするという点では、もともとなんの問題解決にならないものでした。
「国立施設」構想はもともと、小泉首相の発案でした。首相は2001年8月、靖国神社参拝のさいの談話で、「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げる」方策の検討を表明。これを受けて政府内に「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が設置され、学識経験者らによる懇談会は02年12月「追悼施設は必要」とする報告書を出しました。ところがこの構想は、靖国神社国家護持を求めている改憲・右派勢力の猛反発を受けます。これら右派勢力にねじ込まれた首相は「(靖国は)追悼の中心施設」(02年4月)、「靖国は靖国だから」(同11月)と述べて、国立施設ができても靖国参拝を継続することを表明。逆揺れにあえばあっさり軌道を変えるという無節操ぶりでした。
現在、中国、韓国政府は「靖国神社に祀られている一般の戦死者は戦争の被害者であり、日本の指導者がその人たちのために参拝するのなら異議は唱えない。しかし、A級戦犯を同時に参拝することは受け入れられない」とA級戦犯の合祀だけを問題にする大変譲歩した立場をとっています。しかし、15年戦争で日本の兵士がアジアで犯した蛮行による被害者遺族の立場に自分を置きなおして見れば、上からの命令に従っただけと許す気になれるでしょうか。
靖国にかわる追悼施設は、A級戦犯を合祀しない、特定の宗教性をなくすことにより現在の靖国参拝問題の多くを解決できるかもしれません。しかし、それだけでは、日本の「歴史認識=戦争責任」を明確にするという問題の核心は依然として残ります。戦争犯罪の贖罪にはなりません。そもそも国立戦没者追悼施設は、国家の命令で殺人を犯し、死ぬということが前提となっています。したがって戦争する国は、たいていこの種の追悼施設をもっています。21世紀に生きる私たちが考えなければならないのは、国立戦没者追悼施設を不要とする世界ではないでしょうか。私は、憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の立場の全面実施に努めるとともに世界の人々にこの立場をとるよう訴えることこそが、戦死者への最大の供養だと考えます。それこそが、日本の「歴史認識=戦争責任」を明確にすることではないでしょうか。



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