プロメテウスの政治経済コラム

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NHK「坂の上の雲」 なにが問題 「明治」と「昭和」は帝国主義的侵略の歴史で連続している

2009-11-30 23:08:56 | 政治経済
いよいよ昨夜からNHK『坂の上の雲』の放送がスタートした。「坂の上の雲」とは、政府による「明治100年記念事業」にあわせるように1968年春から「サンケイ新聞」夕刊に連載が始まった司馬遼太郎のベストセラー・ノンフィクション小説である。日本が大国ロシアに勝った日露戦争の話を主題にした「明治日本の成功物語」である。日露戦争終結後から第一次世界大戦の間ごろまでに日本は世界の列強に伍して「五大国」(米英仏伊日)にまで伸し上がったのだった。
ところで、学識者らでつくる「坂の上の雲」放送を考える全国ネットワークは26日、NHKで29日から放送されるドラマ「坂の上の雲」に関して、司馬遼太郎氏の原作小説には「重大な歴史認識の誤り」があるとして、視聴者に事実との違いを伝える措置を講じるよう要望した(時事2009/11/26-18:45)。
なにが問題なのか。

司馬遼太郎は、生前「坂の上の雲」は「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品」として映像化を拒否してきたようだ。理由は「うかつに翻訳すると、ミリタリズムを鼓吹しているように誤解される」からだという。司馬遼太郎は、自身が戦車兵として戦地に動員された体験も踏まえ、「戦前の昭和」は、二度と思い出したくないほど嫌いである。しかしこれに対して、「明治の日本」、日清・日露戦争の時代は、明るく希望に満ちた青春日本であった、という。要するに「戦前の昭和は大嫌い、明治は大好き」というわけである。「偉大な明治の先人達の仕事を三代目が台無しにしてしまった」といういわゆる「明治栄光論」は、右派はもちろん、左派とみられる人びとにもかなりひろく浸透している見方である。

「ミリタリズム=軍国主義」とは、対外的には侵略戦争、国内では戦争準備と推進に政治経済、教育、文化など、すべてを従属させる政策、体制のことである。昭和のミリタリズムを「あんな時代は日本でない、灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動が私にはある」、と毛嫌いした司馬遼太郎ではあるが、明治のミリタリズムについては、「日清・日露戦争の時代の日本人ほど、国際社会というものに対していじらしい民族は世界史上なかったであろう」と言って美化する。「日本は日露戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵奉者として終始し、戦場として借りている中国側への配慮を十分にし、中国人の土地財産をおかすことなく、さらにはロシアの捕虜に対しては国家をあげて優遇した」。
ところが、日露戦争後、日本はおかしくなり、やがて「昭和の異常」に突入し、1945年の敗戦にむかって転落していった、というのだ。

29日、NHKは夜の放送に先立って総合、教育テレビの多くの時間帯を番組宣伝に充てた。そのなかの一つである松山放送局制作「ぐるっと日本」(10時05分~11時30分総合)の 「“坂の上の雲” 主人公の一人秋山好古(よしふる) 晩年の物語・中学校長として中学校生徒に伝えた 言葉など」は、半藤一利氏の解説を交えながら、好古が晩年、北予中学校の校長として勤務した様子、軍人時代を回顧した模様を伝えた。その中で、北予中学校の修学旅行先に朝鮮を選んだことを、彼の国際人養成にかけた意気ごみと評し、自分の指揮で多数の兵士の命を失ったことを慰霊する意思だとして、職業軍人とは程遠い教育者として尽力し、誠を尊んだ無私の善人ぶりを強調していた。しかし、国家の意思で起こした戦争の侵略性を個人の善意で治癒 する(ぼかそうとする)とことはできない(醍醐聰「坂の上の雲全国ネットワーク・メールNo 5」)。

醍醐聰さんは次のようにいう。
<非常に気になったのは半藤氏の解説です。子規とともに予備門入学を目指していた真之(さねゆき)が兄・好古の説得で軍人に転身したことは、日本が優秀な人材を軍に得たことを意味し、よかった、と語り、司馬「史観」(明治・昭和不連続説)に同調しながら、満州事変を機に日本は国際協調路線から対決路線に転換した、人々の価値観も誠を重んじる価値から利己に転換した、と語っていました。どういう史実を根拠にいうのでしょうか? 私は歴史「観」あって歴史認識の「考証」 がない言動の害悪を痛感する

日本の近代は、明治のはじめから1945年まで戦争につぐ戦争の歴史であった。司馬遼太郎が大嫌いであったアジア太平洋戦争の昭和の時代は、日本の明治以来の帝国主義的侵略と膨張と無関係であるどころか、むしろその帰結であった。日本は明治政府成立からわずか6年後の1974(明治7)年に中国(当時、清国)の一部である台湾に出兵した。「日本は産業の方式においてばかりでなく、帝国主義的な攻撃のしかたについても、ヨーロッパのあとを追った。日本人はヨーロッパ列強の弟子以上のものであり、しばしばその上を行きさえしたのだ!」(ネール『父が子に語る世界歴史』)
NHKは映像化を拒否した著者の遺言を無視してまで、新自由主義「構造改革」で疲弊し、亀裂した社会統合の修復を目指して「明治栄光論」を国民のなかに植付けようとしている。明治の栄光は、朝鮮の没落であった。来年は、朝鮮併合100年の年である。これでは、いつまでたっても日本人はアジアの人びとと心を通わせることはできないであろう

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
明治から昭和は繋がっている (仲秋 澄長)
2010-12-19 21:18:18
櫻井よし子
「あなたのおっしゃるアジアってどこの国のことかしら ...
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Unknown (内山)
2011-11-25 12:09:42
司馬氏にとってはあまりに近い過去の出来事で、思い出したくないのでしょう。
しかし現代人にとっては逆に、その時代のことを忘れないようにすることも必要です。
明治も昭和も日本の歴史であることは間違いないのですから。
見て見ぬ振りをしていると、同じ過ちを繰り返してしまう可能性があります。
過度に美化せず、良い部分も悪い部分もフェアに描けばいいだけのこと。
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Unknown (真っ赤な尻)
2011-12-30 10:22:13
君達、朝鮮に親族やルーツを持つ者達から見れば日本の近代化は悔しくて悔しくて我慢ならないのだろう.....
当時、乞食同様な支那朝鮮は未開の地だ!

国家として成立した時期が他と比して遅かった遅れて来た帝国主義国である日本、ドイツ、イタリアが似た道を進んだのは理解できる。それしか道が無かった。
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