プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

水俣病50年  「過去」の問題ではなく「現在」の問題

2006-04-30 18:17:46 | 政治経済
水俣病は、5月1日、1956年の公式確認から50年を迎えます。しかし、いまも続く行政の怠慢のために、50年たったいまも、多くの被害者が病気で苦しみ、まともな補償を受けていません。しかも社会的偏見が持ちこまれるもとで「水俣病」と名乗りをあげられない被害者も多数存在しています。水俣病は、過ぎ去った「過去」の問題ではなく「現在」の問題です。

1956年5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場付属病院から、「原因不明の脳症状を呈する患者が多発」と保健所に届けられました。水俣病の公式確認です。当時、チッソは、プラスチックの可塑(かそ)剤などに使われるアセトアルデヒドを生産、その過程でメチル水銀が不知火(しらぬい)湾に排出されました。魚が白い腹を見せて浮かび、魚を食べた猫がけいれんして踊り狂うように死にました。やがて住民にも猫と同様の症状が表れ、人々を恐怖に陥れたのです。
しかし、国が水俣病を公害病に認定したのは、新工法に移行し、アセトアルデヒド製造設備を閉鎖した4カ月後、公式確認から12年後の1968年9月でした。「被害拡大を食い止める機会は何度もあったが、国はチッソ擁護に終始した」のです(被害者の会全国連絡会の中山裕二事務局長)。

熊本、鹿児島両県や新潟水俣病が発生した新潟県で被害を受けたのは数万人とも言われています。しかし、国がこれまでに水俣病と認定したのは2955人(うち2009人が死亡、3月末現在)だけ。長年、水俣病治療に尽力してきた水俣協立病院の高岡滋医師はいいます。「水俣病を公式確認後、少なくとも40年間、国は認定した二千人余りの人々以外は水俣病ではないといい続けてきた。国は意図的に被害実態を隠そうとしたわけです。その結果、水俣病に対する地域での差別が定着し、さらに苦しむ人々を放置してきた。このことに対する反省がないと、また同じことを繰り返すことになるでしょう」(「赤旗」06.4.30)

未認定患者が訴訟で救済を求める中、国は1995年に政治解決を図ります。患者認定を行わず、訴訟を取り下げることを条件に、症状によって(1)医療手帳を交付し一時金260万円と医療費全額を支給する(2)保健手帳を交付し医療費の一部を支給する-という内容。約1万2000人が受け入れました(Sankei Web06.4.30)。

これに対し、関西水俣病訴訟の原告は訴訟を継続。2004年10月に国や熊本県、加害企業チッソの責任を認めるとともに、感覚障害だけで水俣病と認定した大阪高裁判決を支持する最高裁判決が出ます。認定をめぐり、行政と司法で二重の基準が存在する事態が発生したにもかかわらず、今にいたるまで政府は怠慢を続けています。安倍官房長官は、政府の責任を認めた首相談話を発表した28日の記者会見で、認定基準見直しについて「最高裁判決においても見直しは求められておらず、政府としては見直しを考えていない」といい続けているのです。

関西訴訟最高裁判決が出て以降、水俣病の認定申請者は急増し、熊本、鹿児島、新潟三県で3804人(4月10日現在)にのぼっています。申請希望者は今も途切れることなく寄せられており、さらに増える見込みです。3月16日の参院環境委で共産党の市田忠義書記局長は、「どうして、これほどまでに、初めての申請者が多いのでしょうか」と政府の認識をただしました。小池百合子環境相は「(認定)申請の機会に、自らの健康についても調べておきたいということです」などと答弁しました。「なんという環境大臣か。そんな答弁があるか」。市田氏は思わず語気を強めました。「大変な差別の中で、もんもんとしていた人が、判決に勇気を得て思い切って(申請を)出した。この気持ちを大臣は真正面から受け止めるべきだ」

私は、この小池大臣の答弁は、あらゆる公害訴訟で、いつも被害者の立場に立とうとしない国の態度をすべて象徴していると思います。
国は、不知火海沿岸地域の疫学調査、環境調査を一度もせず、被害の全ぼうをつかむことを怠ってきました。水俣病は、まさに「過去」の問題ではなく「現在」の問題です。




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