プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

メーデーの原点は時短  働きすぎの時代を考える

2006-05-01 20:28:16 | 政治経済
きょう5月1日は第77回メーデーです。メーデーの原点は時短のたたかいでした。120年経ってグローバル資本主義のもと週50時間以上の「働きすぎ」の労働者が日本では4分の1を占めます。「働きすぎ」が80年代後半からの世界的傾向になっています。

メーデーの起源は、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟)が、シカゴを中心に8時間労働制を要求するゼネストをおこなったのが直接のきっかけです。1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」をスローガンに労働時間の短縮を要求しました。そして、第二インターナショナルのもと1890年5月1日、8時間労働制の確立を求める労働者の国際統一行動としてメーデーが始まりました。

『働きすぎの時代』(岩波新書963)の著者森岡孝二さんは、世界的な働きすぎの背景を現代資本主義のグローバリゼーションや情報通信技術の変化、消費競争、非正規労働者の肥大という側面から分析しています。
「今では日本やアメリカやヨーロッパ諸国の多国籍企業は中国その他の途上国に工場を移して大規模に現地生産を行い、進出先の労働者が生産した製品を本国に逆輸入している。このことは、日本やアメリカやヨーロッパ諸国の労働者が、中国その他の途上国の労働者と賃金や労働時間をめぐって直接に競争させられることにほかならない。」
「新しい情報通信技術は、・・・ビジネスの加速化や、時間ベースの競争の激化や、商品とサービスの種類の多様化や、経済活動のボーダレス化や24時間化を促進することによって、全体でみても一人当たりでみても仕事量をむしろ増やしている。」
「消費競争のなかで自己のアイデンティティや社会的ステイタスを表現するためにも、より多くの収入を得ようとして(あるいは高いポストに就こうとして)、より長くよりハードに働く傾向がある。コンビにや宅配便に象徴される利便性を追求するサービス経済の発展は、経済活動の24時間化をもたらし、働きすぎの新しい要因をつくりだしている。」
「労働法制の規制緩和で、非正規労働者が肥大し、週35時間未満の短時間労働者が増える一方で、絞り込まれた正規労働者のあいだで週60時間以上働く長時間労働者が増え、30代の男性を中心に正社員の働きすぎが強まっている。」

日本でも、「財界・大企業の職場支配と自民党政治の政治悪が重なって、正規労働者でも非正規労働者でも、民間大企業でも公務員労働の現場でも、雇用と労働条件の異常な悪化がすすんでいる」というのが今日の労働実態です。「それは労働者の精神と肉体をむしばみ、家庭を破壊し、希望を奪い、このまま放置するなら日本社会の前途を危うくする深刻な事態をひきおこしています。戦後日本社会の歴史のなかでも、こんなにも人間らしい労働のあり方が破壊されているときはありません」(日本共産党・志位委員長の職場問題学習・交流講座への報告「赤旗」06.4.25)。

長時間労働をさらに深刻にしているのが、成果主義賃金です。賃金が、生計費や仕事の内容、労働時間によってではなく、「成果」や「業績」によって決められるため、労働者は、「成果」をあげるため何時間でも働くことを強いられます。残業を申告すれば、能力が低いということになり、「サービス残業」がまん延することになります。

資本主義は利潤を生み出すために時間も空間もとことん利用し尽そうとします。マルクスが『資本論』のなかで、「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」とのべた法則がまさに働いているのです。
疲労・ストレスを少しでも感じたら休むことです。労働者同士競争し、お互いが病気になることほどバカらしいことはありません。自分自身のなかに「自由の国」を確立することです。

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