プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

「非正規切り」内部留保を雇用に使え 「派遣村」は国民生活重視の経済構造への転換の第一歩

2009-01-11 21:27:04 | 政治経済
大企業による非正規労働者を中心とした大量解雇について、“内部留保を雇用に使え”の声がだんだん大きくなっている。90年代前半のバブル経済の後始末のあと、98年ごろから日本経済は、新自由主義的構造改革を急速に推し進めた。こうして、国内市場は停滞しているにもかかわらず、今回の世界恐慌にいたるまで、多国籍大企業を中心に、かつてない高利潤が維持され、株主配当、経営者報酬、内部留保が大幅に増加した。構造改革によって、経済全体の余剰(付加価値)が低レベルでも、賃金抑圧によって労働者の貯蓄・余剰の受け取り分を減らし、企業の取り分を増やしたのである。高利潤によって内部留保は増大するが、国内市場が伸びないから、投資意欲は低く、したがって企業は金余りとなった。アメリカのサブプライムローン問題がなくても、一握りの企業や株主・経営者の一人勝ちがいつまでも続くものではない。資本主義的再生産がいずれ破綻するからである

日本共産党の笠井亮議員は1月9日の衆院予算委員会で、1999年から2007年までに、派遣労働者が107万人から384万人に激増している一方で、大企業が内部留保を60兆円も増やしていることをパネル(グラフ)で提示。「内部留保は、派遣労働者らの血と汗と涙でため込んだものだ。そのわずか0・2%を回せば、(3月までに解雇される)8万5千人の正社員化も可能だ。内部留保を活用して雇用確保に努めるよう企業に働きかけるべきだ」と追及した(「しんぶん赤旗」2009年1月10日)。
高度経済成長期には、高利潤は高投資につながり、雇用と所得を生み出し、経済は成長した。だが現在は、企業が高利潤を得ても、利潤の労働者への分配は抑えられ、高利潤が投資にもつながらないから、国民所得は増えない。企業に流れ込む資金は、株主配当、経営者報酬、海外投資に使われ、マネーゲームに使われるだけである。「企業を儲けさせれば国民にも滴り落ちてくる」とうのは、もはや真っ赤なウソなのだ。国内の貧困と格差は拡大し、国内市場はますます萎縮する。そこに今回のアメリカ経済の破綻を受けて、高利潤の維持が難しくなった大企業が先を競って雇用破壊を行えば、底辺労働者から生存権が奪われ、かろうじて生きていた中小企業の破綻も必至である。日本経済の再生産構造の維持は不可能となる。

資本主義の基本的矛盾は拡大する生産に消費が追いつかない、すなわち常に過剰生産だということである。所得が伸びている間は、大量生産、大量消費はそれなりに循環する。しかし、資本主義の所得分配は、個々の資本は労働者の賃金をできるだけ抑制して高利潤の獲得競争を強制される宿命をもっているので、労働者は常に相対的貧困のもとにおかれ、生産と消費は常に矛盾する。とくに先進資本主義国では、画期的な技術革新による新製品や新産業が生まれない限り、高利潤で内部留保を増やしても、有効な投資先がない。軍事産業と農業、IT産業など以外に有力な産業を持たないアメリカは、ドル特権と金融工学を生かして、カジノ資本主義にのめりこんでいった。
国民の生活の向上につながる実需があらゆる経済活動の出発点である。国民の一定水準の生活を維持するだけの製品が過剰にあるなら、もしも所得分配がうまく行われれば、過労死するほど働くこともない。しかし、個別資本の利潤極大化の運動法則を自由放任にすれば、大資本が栄えても国民経済は衰退し、底辺労働者が餓死することも起こりうる。だから、政治が介入し、最低賃金の限度を定め、労働者の人間らしい働き方を保障し、社会保障制度を創ってきたのである。企業が労働者分配率を抑えようとするのが自然法則だからこそ政府は、法人税を徴収して所得再分配を行うのである。小泉―竹中はこれらの仕組み(欧州に比べもともと貧弱であったが)をことごとく壊したのだから、食うや食わずの労働者が「派遣村」にたどりくのは、必然であった

マネーゲームに使うような内部留保は、労働者のために吐き出させるべきである。しかし、これを個々の資本に任せていても絶対に実現しない。個別資本は、合成の誤謬が解っていても自ら率先することは絶対にない。資本主義の根本矛盾の克服は労働者階級を柱とする国民の闘争を通じてのみ新しい段階を切り開くのだ。資本は利潤の最大化を最優先し、「労働者」たちの健康や生命にさえ何らの顧慮も払わない。しかし、資本のそうした振る舞いが、むき出しの資本の論理に対する強い「反作用」を広く社会の側に生み、その社会による資本への「強制」を「必然的」なものとする。そして、成長する「社会」が与える規制の「一般化」は、それをつうじて資本主義的生産を発展させながら、「社会」の資本主義システムに対する制御能力を高めていく(ルールある経済社会へ)。
元セゾングループ代表であり、作家の辻井喬さんは、「しんぶん赤旗」の新春インタビューで次のように語っている。「私は日本は今、恐慌というトンネルの中に入っていると思っています。これは思いのほか長いトンネルで、根本にあるのは産業社会[辻井さんはもと経営者なので資本主義社会とはいわない]の行き詰まりです。これまでの産業社会のあり方が終末を迎えているということです。経済の構造そのものを認識し直さなければならない時期に来ていると、私は思います。」(「しんぶん赤旗」2009年1月11日)。
経済構造そのものを認識し直すとは、国民生活重視の経済構造へ転換するということだ。

「派遣村」は、トンネルを抜けた後の日本経済を、国民生活重視の経済構造へ転換する、その歴史的第一歩を記すものとなった。

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