プロメテウスの政治経済コラム

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シベリア特措法成立  シベリア抑留の歴史の検証はすべてこれから

2010-06-20 21:47:34 | 政治経済
第2次世界大戦後に旧ソ連軍によってシベリア、モンゴルなどに抑留された元抑留者らに特別給付金を支給する「戦後強制抑留者特別措置法」(超党派による参院議員提出法案・参院先議)が会期末ぎりぎりの16日、衆院本会議で可決・成立した。戦後65年、あまりに遅過ぎる対応だが、生存者への給付金支給で問題の幕を閉じるわけにはいかない。シベリア抑留の歴史には、不透明な部分が多い。日本政府もスターリン時代のソ連政府も歴史的事実を公にすることが憚れる数々の暗部を抱えているからである。日本の数々の「戦後処理」が進まないのは、天皇制軍国主義国家が被侵略国民だけでなく、自国民に対してもいかに極悪非道であったかが、白日の下に晒されることを懼れるからである

 シベリア抑留とは、アジア太平洋戦争末期にソビエト連邦軍の満州侵攻によって生じた日本人捕虜(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)を、主にシベリアやモンゴルなどに抑留し、強制労働に使役したことを指す。元シベリア抑留者については、総数は言うまでもなく、死亡者や埋葬地もいろいろな数字、場所があげられ、全貌は闇のなかである(厚労省が現在、把握しているモンゴルを除く総数は、約56万1000人、そのうち死亡者は5万3000人と推定)。
日本政府も、旧ソ連政府もこの問題にまともに向き合って来なかった。それぞれの政府が公にしたくない歴史の暗部を抱えているからである

 シベリア抑留問題の第一次的責任が旧ソ連政府にあることはいうまでもない。「日ソ中立条約」を一方的に破棄して、日本が支配していた満州国(現在の中国東北部)へ侵攻、その全土を武力占領したうえに、満州で投降した関東軍将兵約64万人を武装解除したのち、「トウキョウ・ダモイ」(東京へ帰還だ)と騙して、シベリアなどに拉致・連行後、長期抑留生活を強いて、過酷な強制労働に使役したのだから(白井久也『検証シベリア抑留』平凡社新書2010)。
これは、日本が無条件降伏にあたって受諾した「ポツダム宣言」第9項(日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ)の完全違反であった。

 ソ連の対日参戦は、日本の敗戦が不可避となった45年2月の米英ソ三国首脳会談(ヤルタ会談)での「秘密取り決め」に基づくものであった(このとき、よく知られているように、スターリンは第二次大戦の領土不拡大原則に反して、日本が領有する千島列島などへの領土要求をし、これが、現在の領土問題につながっている)。
1945年8月9日午前零時。極東ソ連軍の大軍が、突如、ソ満国境を越えて、満州国へ怒涛のように侵攻してきた。かつて精強をもって鳴らした関東軍もただ敗走するばかりであった。このとき関東軍が高級軍人・軍属とその家族だけを満鉄が用意した避難列車に乗せ、銃剣で追い払ってまで在満居留民を見捨てたことは、いまでは誰もが知る歴史的事実である

 スターリンのソ連はなぜ、国際法違反の長期強制抑留を続けたのか
スターリンの「対日報復主義」(日露戦争の借りを返す)もあるだろうがそれだけではない。客観的事情として、ソ連は第二次大戦の対独戦で巨大な被害を蒙った。戦争被害者の総数は日本310万人に対し、ソ連は2000万人を超えた。スターリンは戦後、戦争で荒廃した国土と疲弊した国内経済の再建・復興に全力をあげて取り組まなくてはならなかったが、その担い手となる労働力が決定的に不足していた。これが、軍事捕虜を自国の労働力を補完する形で利用する客観的な背景である。そして軍事捕虜は、ソルジェニーツィンで有名となった強制収容所(ラーゲリ)に収容された
国際法上、軍事捕虜に労働をさせることは許されていたが、労働賃金を補償しなければならない。しかしソ連政府は、成果主義(ノルマ制)賃金を設定し、しかも給養費(捕虜の食事などの生活費)を支払賃金から天引きして残余の賃金勘定をゼロかマイナスとして、ただ働きを強要したのだった。

 日本政府はこれまで、シベリア抑留者について、国際法上の「捕虜」とは認めないで国際法にはない「抑留者」という立場に固執してきた。周知のように日本帝国軍人には「捕虜」という概念がないからである。帝国軍人は上は大将から、下は一兵卒に至るまで、捕虜を甘受するくらいなら、潔く自決を選ぶという決意に凝り固まっていた。だから、捕虜の人権などはじめから問題にならなかった。シベリア抑留の国家賠償がお座なりにされても宜なるかである
さらに、上記白井久也さんの著書で教えられたのだが、スターリンが投降関東軍将兵を「戦利品」扱いした背景には、天皇制国家・日本の「棄兵・棄民政策」があったということである。大本営は、日ソ停戦協定の話し合いで、軍人、民間人の対ソ労務提供の申し出をしていたのだ。これでは、日本政府がシベリア抑留問題を放置するわけだ。

 生存者への特別給付金支給で問題の幕を引くわけにはいかない。抑留問題の真相究明、抑留体験の次代への継承など私たちがやらねばならいことがたくさん残されているのだ。

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