プロメテウスの政治経済コラム

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9・29沖縄県民大会  私たち「日本人」は22万の瞳にどうこたえるのか

2007-09-30 18:32:50 | 政治経済
329人が「集団自決」した沖縄・渡嘉敷島の北部山中。「島のおじぃ、おばぁから軍が事前に手榴(しゅりゅう)弾を配ったことをたくさん聞いています。軍命を否定する勢力は、憲法を変えて自衛隊を軍にし、アメリカと一緒に海外で戦争をすることを考えている。そのためには軍が県民を『自決』させたという歴史はじゃまなんですね」(女性ガイド)。
集団自決」から「日本軍の強制」を消し去る策動がはじまったのは、「靖国」派の自由主義史観研究会代表の藤岡信勝氏(新しい歴史教科書をつくる会会長)と皆本義博氏・元陸軍海上挺身第三戦隊中隊長(陸士五七期、中尉)との出会い(2005年3月31日)からであった。皆本氏の上官は、赤松嘉次隊長(大尉)。赤松隊は守備隊として渡嘉敷島に駐屯し、米軍が上陸した直後の1945年3月28日には軍が手渡した手榴弾などで住民が「集団自決」した。藤岡代表と皆本氏との“出会い”から2カ月後の05年5月、藤岡代表らは「沖縄プロジェクト」を立ち上げる。「沖縄戦集団自決事件の真相を知る」として、渡嘉敷島などでの現地調査に着手。赤松隊長らの「軍命はなかった」とのキャンペーンを開始。同年8月、同隊長の遺族らは、軍命の存在を指摘した大江健三郎氏の『沖縄ノート』(岩波書店)を名誉棄損として大阪地裁に提訴した文部科学省は今年3月30日、同訴訟での原告側主張をとりあげ、軍の「命令」「強制」記述の削除を指示したという教科書検定結果を公表した(「しんぶん赤旗」7月10日)。そして撤回要求に耳を貸さない文科省にたいする沖縄県民の党派を超えた怒りが11万人を結集する県民大会となったのだ。

なぜ、赤松隊長の遺族らは、大江氏を訴えたのか。大江氏は『沖縄ノート』でなにを訴えようとしたのか。大江氏は昨年6月の集会で次のように語っている。 「憲法9条が作られた動機は、東京裁判で天皇の戦争責任の追及をさけたかったこと、本土を非武装にするかわりに沖縄を巨大な基地にすることだった。 いま、この三十年前に書いた本で訴えられ裁判になっているが、この本のなかで私は、スーザン・ソンタグの言葉を引用した。『モラル・イマジネーション―倫理的想像力』。戦争末期の沖縄・慶良間諸島に、日本軍の沖縄本島防護の前進基地があった。そこで500人の女性、子供、老人が集団自殺した。日本軍の手榴弾での自殺もあるが、家族が棒でなぐりあって自殺した。私が『沖縄ノート』を当時、書いたのは、25年前のことを忘れていいのか、という思いが動機だ。モラル・イマジネーションを問いかけた」。
大江氏は、渡嘉敷島に駐屯し「集団自決」を強制したと記憶される旧守備隊長の「おりがきたら、渡嘉敷島にわたりたい」という言葉について考える。「渡嘉敷島の人々は、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」。大江氏は、旧守備隊長のこの渡島は、再び1945年の「集団自決」の再現が許されるのかどうかが試されている、ととらえる。この渡島を許すことは、戦後の日本人が、再び45年の「集団自決」を繰り返しかねない意識構造をそのままにしていることの証明ではないのか
「およそ人間がなしうるものとも思えぬ決断」にたいする悔恨と痛覚の欠落。そうした欠落を容認する多数の日本人。『モラル・イマジネーション―倫理的想像力』を働かせることもせず、かれらを再び沖縄に渡島させてしまうこと。それは「大規模な国家犯罪」へとむかうあやまちの構造の再生産ではないのか。大江氏は、沖縄をめぐる暴力を、米国によるもの、というよりも、日本人としての私の責任・罪として担おうとする「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」と沖縄を訪問しては、何度もこの問いと願いをくり返す。 訴訟や検定の当事者と大江氏の人間観・歴史観が大きく、鋭く対立していることは、明らかだ(佐藤広美「『徳育の教科化』と安倍内閣の人間観を問う」『前衛』2007年10月号/No.822)。

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