プロメテウスの政治経済コラム

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胡主席との朝食会での安倍氏発言  「靖国」派の鵺(ぬえ)的性格はどこから来るのか

2008-05-09 19:26:56 | 政治経済

中国の胡錦濤国家主席と中曽根康弘、海部俊樹、森喜朗、安倍晋三の歴代首相4人(小泉はさすがに恥ずかしかったのか欠席)との朝食会が8日朝、東京都千代田区のホテルニューオータニで開かれた。89歳と最年長の中曽根氏が主宰し、和やかな友好ムードが演出されたが、安倍氏が久しぶりに嫌中国・「靖国」派振りを発揮して一時緊迫する場面もあったらしい(「産經」5月8日18時37分配信)。
日本国の歴史や伝統、文化を尊重し、先のアジア侵略戦争を自存自衛の戦争として正当化する「靖国」派は、しばしば理解しがたい論理矛盾を抱える。どんなに力んでみても大日本帝国の復活はありえず、「覇権国家アメリカの一部としての衛星プチ帝国・日本」(ジャーナリスト・斎藤貴男『「心」が支配される日』筑摩書房2008)の現実が重くのしかかるからである。日本における新保守主義としての「靖国」派の鵺(ぬえ)的性格は、日本の歴史や伝統と本来両立しない対米追従の現実を彼らが無批判に受容することから生じている。現代日本の右翼的言説の大半が子どもじみた茶番となるほかないのも、彼らの議論が「アメリカの一部としての衛星プチ帝国・日本」の現実から遊離しているからだ

朝食会では、胡主席はにこやかに謝意を表明し、中曽根氏の正面の席に着いた。中曽根氏は「今まで日中関係は必ずしも良好ではなかったが、7日の日中共同声明により新しい展開が可能になるだろう」と胡主席来日の成果を高く評価。海部氏は東シナ海ガス田問題について「だんだんよい方向で進んでいるようなので、ぜひその方向で進めてほしい」と要請した。ところが、こうした会場の「緩い空気」(出席者)を一変させたのが安倍氏の発言であった。
「お互い国が違うので、利益がぶつかることもあるが、戦略的互恵関係の構築に向け、相互訪問を途絶えさせない関係をつくっていくことが重要だ」これは、小泉氏の靖国参拝をめぐり中国側が首脳交流を途絶えさせたことを暗に批判したものだった。安倍氏はその上で、「チベットの人権状況を憂慮している。五輪開催によって、チベットの人権状況がよくなるのだという結果を生み出さなければならない」と指摘した。会場には緊張感が走り、出席者はみな一様に黙り込んだが、安倍氏はさらにウイグル問題にも言及した(「産經」 同上)。
安倍氏が人権派とはもっとも無縁な人物であることは、「慰安婦」の人権蹂躙でいまや、世界的に有名である。こういうダブルスタンダードを臆面もなく演じられるところが、「靖国」派の子どもじみた議論の真骨頂というべきか

安倍「靖国」派一派の「価値観外交を推進する議員の会」(価値観議連)。そもそも「価値観外交」という用語も定義も、もとは米ネオコンのものである。「米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである」(安倍晋三『美しい国へ』)。
核兵器による先制攻撃をためらわないネオコンのアメリカと価値観が同じだと胸を張る政治は、日本の歴史や伝統文化と両立するのだろうか
「彼らが強調したがる保守政治の正体は、よく言って国内の自民党支持層向けと国外での対米追従のダブルスタンダード。より本質的には歴史だの伝統だのを、アメリカの一部としての日本の真実を国民の目から覆い隠すカムフラージュの道具、つまりは補完機能にしていると表現した方が真実に近いのではないか。」(斎藤 同上)

「慰安婦」問題を教科書に載せるなと頑張った安倍氏は、米下院で「日本政府は公式に謝罪すべきだ」とする決議が可決されたとき、特に強い反応を示さなかったどうしたことだろう。懸命に守ろうとしてきた日本国家の“名誉”に、少なくともこの件では第三者でしかないアメリカ議員が土足で踏み込んできたというのに、彼はなぜ、当の元『慰安婦』たちに投げつけてきた侮蔑や罵倒の一万分の一でも返してやろうとしないのか。筋が通らないではないか。」(斎藤 同上)

日本の歴史や伝統の重視を声高に叫ぶ「靖国」派の連中は、日米関係の本当の姿を覆い隠す役割を果たしているだけで、アメリカへの隷従や戦争協力から脱し、独自の価値観を創出していこうとする発想をもたないという斎藤貴男氏の指摘は、「靖国」派の鵺(ぬえ)的性格の本質を見事に突いているそのような言説に乗って、かつて植民地支配をしていた国々の人を蔑視し、辛すぎる現実から目を背けたがる一部の右翼的国民も憐れなものである。

アメリカにしてみれば、21世紀にもなって事実上の軍事植民地に甘んじてくれている世襲権力者をその地位に保させておくためには、小泉や安部のような人物の多少の脱線も大目に見ようということだ。アメリカの掌のうえにある限り、現実への反発を伴わないナショナリズムやジンゴイズム(好戦的愛国主義)は、日本国民の実効支配にとってかえって好都合というわけだ。

 

れる世襲権力者をその地位に保たせておくためには、小泉や安倍の多少の脱線も大目に見ようということのようだ。

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