プロメテウスの政治経済コラム

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派遣法「改正」案衆院で審議入り   派遣労働者の8割を対象外とする「改正」とはなにか

2010-04-19 21:29:52 | 政治経済
政府の労働者派遣法改定案が16日、衆院本会議で審議入りし、今週末から委員会審議が始まる予定だ。鳩山内閣の支持率が急落している。当たり前である。派遣労働者の働くルールを労働者のために「改善」するといいながら、出てきた「改正案」が、抜け道だらけで派遣労働者の8割弱が規制の対象外といえば、誰だってバカにするな!ということになる。なぜ、こんなバカげたことが、国会で堂々と罷り通るのか。日本では、支配階級(財界とアメリカ政府)があまりにも強すぎ(経済だけではなく政治・文化も牛耳っている)、真っ向から対抗する勢力がその主体的力量の弱さも相俟って、あらゆる経路を通じて押さえ込まれているからだ

 政府の労働者派遣法改定案が、仕事があるときだけ働く「登録型派遣」や製造業派遣を原則禁止するというのは、世論に押された偽装工作である。法案の製造業派遣や登録型派遣の「原則禁止」には二つの“大穴”が開けられおり、まさに派遣労働「原則容認」法案になってしまっているのだ。
財界が、労働政策審議会(厚生労働相の諮問機関)のメンバーを抱きこんでいるので、派遣労働者の保護にどこまで本気になるかが、長妻昭厚労相や福島瑞穂社民党党首(消費者行政担当相)に問われていた。ところが、「政治主導」はまったく発揮されず、財界=官僚支配の圧力によって、派遣労働者の保護は掛け声の大きさにもかかわらず見事に裏切られた。

 法案は「製造業への派遣を禁止する」といいながら、「常時雇用する労働者」(常用雇用)の派遣は対象外(例外)とする。製造業はまったくのド素人が現場に入るのは難しい。派遣(元)会社は、一定数の労働者を抱え(「常用」し)たうえで、派遣先企業に送り込む。この場合、派遣元企業は、派遣先から解約されたら、次の派遣注文が短期に来ないと労働者を抱えておく(「常用」を続ける)わけにはいかない。売り上げゼロで仕事のない労働者を抱えておれないのは当たり前である。「常用」を例外にするというのは、現状を追認するということだ

 法案は、仕事があるときだけ働く不安定な「登録型派遣」を禁止するといいながら、約100万人いる「専門26業務」を例外とする。派遣会社に登録しようと思う者は、大抵「専門26業務」の経験者である。現状追認もいいところだ。さらに、現行法では、「専門26業務」について、新たに増員する場合には、現に派遣されている労働者に対し、まず優先的に直接雇用を申し込む義務があったが、法案は、この優先的雇用申し込み義務を廃止し、永久的に派遣の身分差別に縛り付けることさえ企んでいるのだ。

 資本主義システムは、相対的過剰人口の存在を必然化する。そして、相対的過剰人口を資本に吸引する場合、これを仲介するのは、基本的には公共職業紹介サービスである。しかし、どこの国でも公共職業紹介サービスだけでは不十分で民間職業紹介事業者が暗躍する。派遣労働を、現代資本主義国でまったく根絶することは難しい。しかし、派遣労働の存在を認めたうえで、その濫用から労働者を保護することは政府の力でできることだ。その政府がどこまで本気で労働者を保護することができるかは、資本家団体との力関係に応じて決まる。

 ジョン・バーゲス&ジュリア・コンネル編著『テンポラリー・エージェンシー・ワークの国際的展望』によれば、日本の「派遣」という言葉は「特異である」という(筒井晴彦『働くルールの国際比較』学習の友社2010)。国際社会では、自ら雇用する労働者を第三者の指揮命令下に配置するという間接雇用は、「テンポラリー・ワーク」(臨時的・一時労働)あるいは労働者とユーザーの間に仲介業者(エージェンシー)が存在するという意味で「テンポラリー・エージェンシー・ワーク」であるいつまでも続くような間接雇用はありえない。

 世界が、ディーセント・ワークを目指して前進を続けているとき、日本の特異な後進性が際立っている。高度経済成長時代、大企業労働者は安定雇用と年功処遇で恵まれているように見えた。しかし、18もあるILO(国際労働機構)の労働時間関連の条約を日本はひとつも批准していない。絶対的剰余価値の搾取という過労死搾取が資本の自由という国も珍しい。

 日本では、2000年以降の大まかな傾向として、企業利益は大きく稼いだが、給与はそれとは関わりなく長期的に下落を続けている新興国と競合する企業が労働者保護の弱さにつけこんで非正規労働を活用し強引に給与を引き下げたのだ
派遣は、賃金を新興国レベルに平準化する身分差別として使われた。したがって、日本では派遣は常用型業務に利用され、「テンポラリー・ワーク」(臨時的・一時労働)ではない。二年も三年も派遣労働を続け、さらに派遣が身分差別のようになっている、これほど資本の横暴が自由な日本は、異常というほかない。

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