プロメテウスの政治経済コラム

プロメテウスは人間存在について深く洞察し、最高神ゼウスに逆らってまで人間に生きる知恵と技能を授けました。

核廃絶  広島・長崎の被爆者が原点  原爆症認定に見る厚労省官僚の非人間性

2010-04-20 21:51:11 | 政治経済
核兵器廃絶を世界に訴える被爆者らが、16日非政府組織(NGO)ピースボートの船に乗り世界航海に出発した。60~80代の被爆者9人と被爆2世の1人が、約800人の乗客らと船内で交流。中国、フランス、ロシアの3核保有国のほか、枯れ葉剤による深刻な被害が続くベトナムなど20カ国を訪ね、現地で被爆の実態を話す。被爆者の一部は欧州訪問中に船を離れ、航空機で訪米。ニューヨークで5月3日に開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議に参加する(私も5月2日のニューヨーク国際行動デーに参加する予定)。
核兵器は人類となぜ共存できないか。その原点はいうまでもなく、広島・長崎の被爆者の体験である。
最近、『にんげんをかえせ 原爆症裁判傍聴日誌』(かもがわ出版2010)を出版した長谷川千秋(元朝日新聞大阪本社編集局長)さんの話を聞く機会があったが、改めて被爆者の方々が背負った人生の重さを知らされた。同時に原爆症認定にかかわった厚労省官僚の非人間性に改めて怒りを覚えた。彼らをみている限り、「官僚は国民の敵」というのもあながち大袈裟ではないようだ。

 米オバマ大統領が昨年4月プラハでの演説で「核兵器のない世界」を提唱して以来、核兵器廃絶への機運が広がっている。同時にオバマ大統領は、「核態勢の見直し(NPR)」報告などでも核兵器の使用や保有の制限はいうものの、時間を区切った核兵器廃絶の道へ踏み出す気配はない。日本の支配層や日本政府も相変わらず、中国や北朝鮮の脅威を言募って「核の傘」から出る気はなく、当然に核兵器廃絶の道へ踏み出そうとはしない。
戦後、核兵器廃絶を世界が夢物語だといって真剣に取り上げなかった期間が長く続いた。そんな中で、倦まず弛まず終始一貫、核兵器廃絶を訴え続けたのは、広島・長崎の被爆者と日本の原水禁運動であった。“自分たちを最後の被爆者にしてほしい”、“二度と同じことをくり返さないでほしい”――これが地獄を見た被爆者の悲痛な叫びであった。

 広島・長崎に原爆を投下したアメリカは、大変なことをやってしまったと思ったはずである。だからプレスコードをしいて、原爆被害の実相が日本国民や世界へ知らされることを厳しく制限した。アメリカは原爆投下を正当化し、そのトラウマから逃れるために、「戦争を早く終わらせ、米国兵士の犠牲を少なくするためには広島・長崎の原爆投下もやむをえなかった」という論理を振りかざし、今なおそのことばかりを饒舌に語っている。しかし、なんと言おうと、非戦闘員である市民21万人(45年末までに広島14万人、長崎7万人が死亡)を無差別に殺戮したことを正当化できるものではない。生き残った人々もさまざまな放射能症に苦しめられている。アメリカは、原爆投下の責任を永遠に背負っていかねばならないのだ

 私は最近、畑田重夫さんの『どうみる新しい内外情勢』(学習の友社2010)を読んで、日本国憲法第9条が広島・長崎の被爆体験と不可分であることを教えられた。日本国憲法のなかには、原子爆弾や核兵器といった文字が明記されているわけではないが、原子爆弾投下という人類にとって初の悲劇的体験からくる教訓が十分に生かされているのだという。GHQマッカーサーでさえ、『マッカーサー日記』のなかで、1946年幣原首相と会ったときの記録として、「原子爆弾の完成で、私の戦争を嫌悪する気持ちは当然のことながら最高度に高まった」と述べている。
芦田均・帝国憲法改正案委員長は、次のように述べている。
「近代科学が原爆を生んだ結果、将来万一にも大国の間に戦争が開かれる場合には、人類の受ける惨禍は測り知るべからざるものがあることは何人も一致する処でありませう。我等が、進んで戦争の否認を提唱するのは、単に過去の惨禍に依って戦争の忌むべきことを痛感したと云う理由ばかりでなく、世界を文明の破壊から救わんとする理想に発することは云うまでもありませぬ」(衆議院議事録・1946年8月24日)。
核兵器が存在する世界では、もはや、戦争に正義も不正義もない。日本国憲法の平和主義は、広島・長崎の被爆者の苦しみを体現するものなのだ。

 アメリカの核の傘に頼る日本政府は、原爆の悲惨さをことさらに隠し、過小に扱ってきた原爆症の認定においても、被爆者の苦しみを知ろうとせず、ひたすら行政の都合を押し付けてきた。長谷川千秋さんの『にんげんをかえせ』は、2003年から全国でたたかわれた原爆症認定集団訴訟のうち、京都、大阪、兵庫の裁判の克明な記録である。厚労省の担当官僚は、「科学的知見」なるものを振りかざし、被爆と後遺の実態に耳を貸すこともしないで、被爆していないと次々と申請を却下していった。
被爆者がみずからの人生をさらけ出し、文字通り命をかけて立ち上がったのは、冷酷な「援護」行政の実態とともに核兵器の非人道性そのものの告発であった。訴訟それ自体が「核兵器は人類と共存できない」ということの「壮大な語り部」であったのだ。

 原爆症認定集団訴訟に関しては、昨年の『8・6確認』で山を越したと思われがちだが、そうではない。冷酷な厚労省官僚は、認定申請しても処分を決めず長期間放置し、認定促進(義務付け)訴訟が起こされると判決直前に「却下」処分をして判決を妨害することまでやっているのだ。彼らをみている限り、「官僚は国民の敵」というのもあながち大袈裟ではなさそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。