パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

これが宇宙だ!

2005-09-29 12:37:05 | Weblog
テストで、宇宙画像を入れたついでに、「どっちだ4」で書いたことに補足。
 「もし、饅頭が無限に存在するなら、それは宇宙一杯に充満している」なんて、書いたわけだけれど、これは、「無限」の解釈にからんでくる。
 アリストテレス以来、「無限」は人間の想像上にのみ存在すると考えられていた。言い換えると、「存在」は有限だ、という立場だ。有限なるもの=存在、これは、まあ、「存在」の古典的定義のようなものだけれど(カントが典型)、「無限」は実在する(数えられる)、と主張する人もいた。
 この両者の対立はアリストテレス以来、延々と今に至るまで続いているのだが、現在は、実は、無限は実在する、という立場が有力になっているらしい。典型例は「宇宙」だ。「宇宙」は、真の意味で「無限」らしいのだ。
 となるとどうなるかというと、大変に奇妙なことが起きる。「部分」が「全体」に等しくなっちゃうのだ。

その前に、無限が存在すると仮定すると、数学でどんなことが起るか。たとえば、数全体と、偶数(あるいは奇数)のどちらが多いかというと、ちょっと考えると「数全体」のほうが多いに決まっている、というか2倍あると思いがちだが、「無限は実在」すると考えると、そうではない。すべての偶数をあわせると、数全体と等しくなっちゃうのだ。あるいは、√2とか、πといった「無理数」がいくつあるかというと、人間が発見していないだけで、有理数より全然多いんだそうだ。あるいは、線分に含まれる「点」は、面に含まれる「点」と等しい、とか。
 逆に言うと、アリストテレスの立ち場では、有限のものは無限に分割できるはずであった(それがどんなに小さくとも、「分割できない」なんてあり得ない、と!)が、「無限は実在する」という立場だと、逆に、「無限に分割はできない」ということになる。

 こういった、数学の理論上起る不可思議なこと(これを始めて発見したカントールという19世紀の数学者は、「私は見た、しかし、とても信じられない」と知人宛の手紙に書いたことはとても有名。そもそも、かの大天才、ガウスは、無限のことを「言葉の綾にすぎない」といって、それと取り組むことを厳しく戒めていたという。若きアインシュタインが、重力の秘密に取り組んでいると先輩のプランクとう有名な物理学者に言ったら、プランクは「やめとけ。重力の問題の秘密を解いたところで、誰も信じないから」と言ったらしい……天才は、宇宙の仕組みがひどく奇妙であることを直感していたのだろう)が、実は、こういった数学上の現実は、宇宙の現実でもある……らしいのだ。

 てことは、どういうことか。

 「このことは何を意味しているのでしょうか? 数学上の結果と物理的な現実を混同するのは、あまり望ましい態度とはいえませんが、あえてこの禁を破って想像力をはばたかせることが許されるなら、次のようなイメージがおのずと頭に浮かんできます。/私達は宇宙から見れば本当にちっぽけな存在にすぎない。しかし、私達の髪の毛一本、いや赤ちゃんの産毛一本の中にも、この広大無辺の全宇宙空間に存在するのと同じ“数”だけの点が含まれている……というわけです。」(「ゲーデル・不完全性定理」吉永良正、講談社ブルーバックス)

 あれれ? 産毛に含まれる点は、宇宙に含まれる点に等しいって……「無限」を数えることができるならば、「無限」に分割はできない、んじゃなかったっけ? まあ、これは、譬え話ということで(笑)……うーん、勉強し直しか。