パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

経済学と物理学

2013-03-01 02:55:59 | Weblog
 すっかり間隔が空いてしまった。

 言い訳は後回しにして、昨日(27日)の朝日新聞朝刊のインタビュー記事について。

 日本有数のマクロ経済学者という斉藤誠東大教授が、「物理学なら重力でリンゴが落ちると証明されていますし、医学ならこの病気にこの薬が効くという専門家の合意があります。しかし経済学にはあいまいな点が多すぎます」という朝日の記者のバカな質問に、次のように答えていた。

 「物理現象は、分析する人間がどんな思惑を持っていてもリンゴの落ち方は変わりません。でも社会現象はその分析者も含めてプレーヤーたちの行動の集積のなかで起きます。おおむねこうなるだろうという知見はたくさんあっても、自然科学でいうような客観性はありません。だから経済学者には医者や物理学者のように明確な指針を出して貢献することはいつまでたってもできない」

 これは、いかにも誰もが納得するような言葉だけれど、リンゴが上から下に落ちるのは、日常生活において全生物が生きるために前提している条件で、物理学の原理ではない――ということを物理学は、量子という微小世界の研究を通じて確認している。

 量子力学の創始者の一人、ボーアは「物理学の仕事が自然がどんなものかを明らかにすることだと考えることは間違っている。物理学が関係するのは自然について我々が言えることだけだ」と言っている。

 「自然がどんなものかを明らかにする」ということは、明らかにされるべき真実の姿を自然は隠し持っていると前提しているのだけれど、ボーアは、物理学は量子の研究を通じて、自然はそのような姿を有していないことを明らかにしたと言っているのだ。

 う~ん、なかなか説明がうまくいかないが、斎藤誠という東大の経済学の教授が現代物理学の知識がないからよくないと言っているのではない。

 斉藤教授は、「物理学に正解はあるが、経済学に正解はない」と、経済学に「正解がない」ことを「正解がある」物理学を例に出して正当化しているが、実際には、物理学にも「正解はない」のだ。

 では物理学はどう対応しているのか?

 物理学は「正解がない」ことを前提に、正解があり得るとしたらどのようにあるのかと問題をたてる。

 じゃないかと思うのだが、それはそれとして、斉藤教授のように、経済学に「正解がない」ことを正当化してしまったら、「物理学とはちがうから明快な指針を出すことはできない」と居直るしかなく、そのあげくは、「アベノミクスを支持する学者は、支持することで私的利益が得られるので支持しているのだろう」といかにもマクロ経済学者らしい皮肉なレトリックを吐くにいたる。

 このインタビュー発言は、ブログ、ツイッターでかなり叩かれているが、物理学が現在、どの段階まで踏み込んでいるかに関する基礎知識があれば、「経済学は物理学のようなわけにはいかない」なんて言葉は簡単には出てこないはずで、その根幹にはやはり「無知」があるのだと思う。

 記事を調べたら、斉藤教授は「自分たち経済学者は、長期のことはかなり明確に言えるけれど、短期のことは、象牙の塔の人間は善し悪しを言いにくい。ところが経済学者の中には、短期のさじかげんにまで口を出す人がいるが、そういう人たちはスポンサーがいて、その以降で議論を展開しているのでしょう」と言っていたのだった。

 「長期のことは明確に言える」だなんて、この大学院の教授は言うが、ケインズは、「長期のことでわかっていることは、我々はみんな死んでいる、ということだけ」と言ったのではなかったっけ?