パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

日本の常識、世界の非常識

2010-03-14 15:23:08 | Weblog
日本の常識、世界の非常識とかいう話があったけれど、日本ではパティリオリズム、すなわち愛国主義が非難されるが、ナショナリズムという言葉にはそれほど、悪いイメージはない。

しかし、世界の常識ではこれが逆。

たしか、数年前、石原東京都知事が誰か、外国人との対談で、「ナショナリズムということばを使うと警戒されます。愛国心からの行動であると説明すれば、大丈夫、受け入れられます」とアドバイスされていた。

石原がどう理解したかはわからないが、そのナショナリズムの中でも文化ナショナリズムは国際社会ではタブーに近い。

したがって、「食文化」の観点から捕鯨を主張するのは、まったく愚の骨頂なのだ。

文化とナショナリズムを結びつけたことが、今世紀前半に起きた悲劇の原因であるという見方から、ものすごく警戒されるのだ。

その点、中国人は賢明だ。

というのは、中国では犬の食用を禁じる法律を制定したのだそうだ。

犬肉は日本における鯨肉とは比べ物にならないくらい広く食べられており、関係者は10数万人にのぼるとニュースにあった

それでも、禁止したのだ

結局、「勘」で、そう判断したのだと思うが、食用肉は基本的に「家畜」でまかなうというのが、安全性の面からも正しいわけだ。

対する日本人は、どうかというと、今では誰も食べない鯨肉を「文化」という言葉で擁護しようとしている。

これほど愚かなことはない。

もう30年以上前、新潟である環境団体の会合があり、それを取材したことがあるのだが、それに、「ヨナの会」という捕鯨禁止を訴えている斉藤という、元外交官が出席し、捕鯨禁止を訴えたのだが、まったく理解されなかった。

それで、斉藤氏は、最後に、「これは国際社会におけるお付き合いの問題だと理解してください。日本の今の主張は決して受け入れられません。わりきってやるしかありません」と締めくくった。

今回の中国の犬肉食禁止は「割り切った」やり方と考えられるだろう。

ちなみに、ヨナの会のヨナはキムヨナのヨナではなく、聖書に出てくる鯨に助けられたヨナのこと。

つまり、この外交官(夫婦で活動していたが)はクリスチャンなのだが、キリスト教の動物感というのが、もっとも日本人にはわかりづらい。

それで、挫折してしまうのだが、ヒントとして、世界創造は2回あったと書かれていることを指摘しておきたい。

一回目は神によるものだが、管理者がいないことに気づき、神は泥から人間を作り、その人間、アダムが二回目の創造を行う。(具体的には「名づけ」である)

対する仏教は「科学的」で、世界創造の神話がない。

したがって、人間も動物もみんな同じとなってしまう。

確かに生物学的(科学的)には同じだ。

でも‥現実には違うのだ。

じゃあ、いったい「人間とは何か」ということになる。

そこまで考えないと、鯨問題の本質は見えてこないのだ。

自分たちで思っている以上に、大きな問題だということを、まず日本人は理解すべきだ。