杜雨茂氏医案 脾腎陽虚 濁邪上犯案
(奇難病症指南より)
患者:車某 47歳 女性 瀋陽の鉄道新運の住人
初診年月日:1989年5月11日
病歴:
蛋白尿19年、腎不全発症3ヶ月。患者は1970年、水腫、蛋白尿で「腎炎」と診断され、治療にて水腫は消失したが、蛋白尿は終始存在した。ここ2年来、常時、倦怠無力感があったが、気にかけなかった。3ヶ月前に嘔吐にて職工医院に入院し、「腎不全」「腎性貧血」の診断を受け「復方丹参液」の静脈内投与、包?氧化淀粉(COATED ALDEHYDE OXYSTARCH 尿毒素吸着剤の一種です)の経口投与などの治療を3ヶ月受けたが、病は未寛解で、反って漸次加重し、自分で立ち上がれず、歩行も非常に困難となり、杜氏の外来に治療を求めて受診した。
初診時所見:
悪心嘔吐が頻繁に発作し、胃の内容物を嘔吐し、食事が出来ない状態で、疲労困憊、動悸息切れ、折れるように腰が痛み、両側の下肢の筋肉が拘縮痙攣し、下肢を伸展できず、立ち上がれず、手足が痺れ、眩暈があり、皮膚掻痒もあり、尿量は1日1000ml程度、下肢にやや浮腫があり、精神は萎縮し、寒がりで、重症感があり、面色萎黄、唇や爪の色が淡、眼瞼結膜が蒼白、舌質淡苔白乾燥気味、脈沈弦左細。
BUN 78mg/dl CO2CP35容積%(コメント:代謝性アシドーシスが進んでいます)
Cre 4.1mg/dl 電解質 K 3.0 Na102 Ca 80
(コメント:電解質の正常値はナトリウム(Na)135~150mEq/l; カリウム(K)3.5~5.0mEq/l; カルシウム(Ca)9~11mEq/l; クロール(Cl)95~ 108mEq/l.ですので、医案には単位が記載されていませんので、コメントしようがありません。Caのみ単位が異なっているようにも見えます)
血圧170/110mmHg 尿蛋白(2+)
中医弁証:
証は関格に属する。病が慢性化して水腫、脾腎陽虚になり、濁邪が上犯するに到った。
治則:温運脾腎 化濁降逆
処方:
西洋参4g 茯苓15g 澤瀉15g 白芍12g 附子片8g(先煎) 黄連3g 蘇葉6g 生姜片3個 連翹12g 懐牛膝12g 桑寄生15g 水煎服用 1日1剤
経過:
上方をやや加減しながら5月24日まで、全部で34剤服用させた。悪心嘔吐は止まり、腰の疼くような痛みが消失し、食も生まれ250gまで食べられるようになり、両側の下肢筋肉の拘縮痙攣が減軽し、小便前よりも暢利となったが、色は黄でやや熱感があった。
BUN 40mg/dl Cre 3.2mg/dl
(コメント:BUN Cre共に改善してきました。素晴らしいですね)
舌淡紅苔薄黄、脈弦細。
前方より蘇葉 連翹を除き、懐牛膝を川牛膝に変え、石葦12g 木瓜12g 虎杖10gを加え、水煎服用、毎日一剤
経過:
上方を継続服用すること90剤、すでに自分の身の回りのことが出来るようになり、家事労働をしても疲労感を覚えるのみにまで改善した。
BUN 16mg/dl Cre 1.6mg/dlと腎機能は改善し、病情が安定してきた。
処方:
党参15g 白朮12g 茯苓15g 附子片9g(前煎) 胡黄連3g 白芍12g 桑寄生20g 虎杖12g 桃仁9g 枳殻9g 鈎藤12g
経過:
患者は1991年7月まで上方を継続服用し、病情はさらに安定し、生活自理、一般的家事労働が可能となった。
評析
本案患者を弁証するに、脾腎陽虚 濁邪上犯の証に属する。治療は健脾益腎、降濁和中を以ってする。方中、西洋参は益気養陰に、茯苓 澤瀉は健脾利湿に、蘇葉 黄連 生姜は和胃止嘔に、懐牛膝 桑寄生は補益肝腎に、附子片は温補腎陽に働く。服薬を堅持し、随症加減し、治療効果を安定させるのである。
ドクター康仁のコメント
本案のような症例報告に接すると、大半の日本の西洋医(腎臓病の医者も含めて)は、信用しないか、あるいは、治療効果は素晴らしいが、基礎が出来ていない、腎臓病の弁病が不十分だ、はたまた、どうせ英語の原著論文になっていないから世界からの評価は少ないだろうとか、疑惑の目を捨て切れません。
私が本案を皆様に紹介した理由は、論文は多いが手術は下手な医者、名も知れない医者だが、技術は確かであるという医療の現実の中での、一中医である杜氏を紹介したかったからなのです。
患者にとっては知名度よりも、医師の技術が求められるのは言うまでもありません。
専門的になりますが、杜氏の医案に接して感じたことは、あわてて降圧しないことです。釣藤鈎(降圧剤)などは、最後に鉤藤として登場します。牛膝や桑寄生で補肝腎して間接的に肝陽上亢を抑えているのです。
次に、氏は一貫して、活血化瘀の治療を貫いています。終始一貫という氏の活血化瘀剤の投与を振り返れば、明らかなことです。虎杖根は素晴らしい生薬です。
以前の記事に「虎杖根の臨床」がありますので検索してみてください。
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20080623
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20080617
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20121102
そして、最終的には、陰虚内熱を考慮して、胡黄連の配合をしています。
以前の記事に「虚熱論」が有りますので検索してみてください。
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20080826
侮ってはいけない、馬鹿にしてはならない、真似はしなくてもいいが、中医案の真意を汲み取る努力を、日本の漢方医や腎病専門医に私は求めたいのです。
汲み取ろうとしても、到達できない現代日本の漢方医にとって、something newの方法論を古い医案である(something oldの意味で古臭い)杜氏の医案に感じました。
木瓜に関して略記すると、「鈴木先生 弁証は出来なくても、筋肉の拘縮痙攣には木瓜(もっか ムーグア)が効きますよ」と教えを頂いた、曙光病院の副院長老師の言葉を思い出しました。酸温 功能:行気止痛、健脾消食、止瀉 平肝舒筋、和中袪湿です。
黄連から胡黄連へ:このような医者の匙加減ということは、現代日本の腎臓病医療現場では無くなりました。全て、標準治療に置き換わりました。残念なことです。
教授も新米の研修医も治療方法に大差ありません。
最終的な方剤になって、党参、白朮が出現してきます。何故、最初に処方しなかったのか? この類の疑問はドクター康仁にとっては、至極興味のあるところなのです。氏の好みなのかもしれません。黄蓍も出てきません。当たり前の生薬しか出てきませんが、使い方が妙である「摩訶不思議の杜氏の世界」です。
西洋参についてコメントしますと、当時は高価であったのです。党参は安価ですから長期服用で、患者の経済的負担が少なくて済むという側面も見逃せません。
評析の「蘇葉 黄連 生姜は和胃止嘔に」の箇所ですが、左金丸の黄連と呉茱萸の発想なのです。辛開苦降の中薬原則からは、止嘔効果は同じ「辛」でも呉茱萸より生姜が勝るので、同じく辛薬 蘇葉を配合して、辛開(蘇葉 生姜)苦降(黄連)となるのです。 読者はお気づきになられましたか?
以前の記事に「左金丸の臨床」が有りますので、検索してみてください。
http://blog.goo.ne.jp/doctorkojin/d/20080612
2013/04/17(水) 記