私の10曲(後編)

2015-06-03 21:27:46 | Music Life
5曲目  Arnold Schoenberg「Dank」
大学に入ると、私の関心の対象はおおげさにいえば「人間の文化的営みの歴史」になっていったので、音楽は変わらず聴いていたが、ミュージシャンになりたいとか、演奏したいとかではなく、関心は音楽史な方向に変わっていって、古代から現代までの音楽を網羅的にとらえてみたいと考えるようになった。もちろんロックばかりではなく、クラシックやジャズ、民俗音楽など、聴くことができるものは何でも聴くようになった。ちょうど古楽ブームがあって、バッハ以前の音楽にもアプローチしやすくなっていたし、ジャンル横断型の音楽研究もいろいろ出てきたしで、誰でもその気になりさえすれば、いろんな音楽に触れることができる環境は整いつつあったのだ。
私の場合、クラシックを聴くきっかけがマーラーなどの後期ロマン派だったこともあり、19世紀末の退廃だとか、狂気だとかエロスだとかに親しんでいたわけだが、それらが行き着くところまで行って、発表された当時にスキャンダルを巻き起こしたシェーンベルクの最初の歌曲をとりわけ偏愛するものである。

6曲目  Charles Trenet「La Mer」
フランス文学やヌーヴェル・ヴァーグが好きであるにも関わらず、第二外国語はドイツ語を選択してしまうというのが私の性格的な問題の一つではあるのだが、それはともかく、フランス語の勉強もしてみたいというわけで、まずは耳をフランス語に馴染ませるためにシャンソンを聴くことにした。有名曲を集めたコンピレーションのほか、エディット・ピアフやジュリエット・グレコのベストなどを廉価盤で手に入れて聴いているうちにシャンソンがだんだんと好きになってきて、自分が好きになった曲のいくつかがシャルル・トレネによるものだということを知った。「ラ・メール」はシャンソンを代表する曲だが、私はそこにマラルメやランボー、カミュやル・クレジオ、あるいはゴダールの、それぞれの「海」のイメージをみんな投影してしまって、私の中で勝手にふくらんでしまっている。それで結局フランス語はものにはならなかった。

7曲目  フリッパーズ・ギター「ドルフィン・ソング」
この曲を聴いたのが、まさに大学最後の夏休みだった。大学にいる間は誰よりも本を読み、音楽を聴き、映画も見、ものを考えてきたつもりだったが、私はそこから何も生み出すことができなかったし何も始めることができなかった。この曲の「ほんとのこと知りたいだけなのに、夏休みはもう終わり」という一節は忘れられない。

8曲目  ザ・コレクターズ「夢見る君と僕」
「嫌なことや嫌いなこと 大人たちを踏みつぶしてしまえ」という歌詞に示されるように、この曲は表向きはラブソングのようでありながら、その裏で思春期の少年に典型的な攻撃性を描くというダブルミーニングな構造を持っている。初めて聴いた頃は「こんな風に考えていた時期が私にもありました」的な感じで受け止めていたのが、社会人になってから改めて聴いてみると、かえってリアルに響いたということがあった。少年の頃に見かけた「大人たち」というのは親や教師くらいで、あとはもっと漠然としたものでしかなかったわけで、しかし会社みたいな組織に入ると、自分の親よりも年上の人間たちがたくさんいて、理不尽に周囲をひっかきまわしていたりするのを目の当たりにするわけで、しかもそれに対抗する術をこちらは持っていなかったりするわけで。

9曲目  b-flower「日曜日のミツバチ」
「別にとりたててすることもない」。

10曲目  J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」
人生の最後に聴きたいのはこの曲。もちろんグレン・グールドの演奏で。
大学生の頃は新プラトン主義な感じで自分の身体というものを持て余していた。プロティノスの言葉を借りれば「肉体のうちにあることを恥としていた」というわけだ。その頃の私は半分本気で「自分は音楽になりたい」と考えていた。今となってはもう、そんなことを考えているわけではないが、自分の肉体が滅びるときには魂は美しい音楽とともに空中に溶けていければいいと思う。
コメント (4)
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