リンク・レイのギターリン

2013-06-25 00:14:49 | Dano Column
リンク・レイのギターリンは現在スミソニアン博物館にある。この博物館には「アメリカのポピュラーカルチャーに寄与したネイティヴ・アメリカン」のコーナーがあり、彼のギターリンはそこに展示されているのだそうだ。




このリンク・レイのギターリンを発見したのはディーク・ディッカーソン。その経緯は彼が最近出した「THE STRAT IN THE ATTIC Thrilling Story of Guitar Archaeology」という著作の中に記されている。ディーク・ディッカーソンは「だのじゃん」的にはGuitar Geek Festivalでヴィニー・ベルのような格好をしてコーラルのエレクトリック・シタールを弾いた男ということで、以前記事にしたことがある。

事の発端はフレッド・ホワイトという男がebayにギターリンを出品したことから始まる。リンク・レイが所有していたものとして出品されたのだが、それはヘッドが割れ、ポットのシャフトも壊れていて、ピックガードもなくなってしまったジャンクギターであり、それがリンク・レイのギターリンだと信じる人間は誰もいなかった。当然、入札もされなかったのだが、そのようなものをディッカーソンは安値で落札し、それが本当にリンク・レイが所有していたギターリンなのかをいろいろと調べていく、という物語が展開していくのである。

フレッド・ホワイトはリンク・レイのバンド「レイメン」のメンバーだったボビー・ハワードから、1962年にギターリンを譲り受けたという。それもジャズのレコードと交換というかたちで。ディッカーソンはこのことを写真を調べることで検証していく。すると、リンク・レイがステージ等でギターリンを使っていたのは1959年から1960年まで、その後、1961年から1962年まではボビー・ハワードがギターリンを使用している。しかし1962年以後はリンク・レイもバンドのメンバーも誰もギターリンを使っていない。であるとするならば、フレッド・ホワイトの言っていることをデタラメと片付けてしまうわけにはいかなくなってくるではないか。

この物語の中でとりわけ面白いのは、ギターリンのブリッジの下にはさまっていた2つのマッチ箱のエピソードだろう。箱をつぶしてシムのようにブリッジとボディの間にはさんであったというわけだが、これらのマッチ箱に印刷された店の名前や住所がディッカーソンに有力な手がかりを与えるのである。

その他にも、ギターリンを抱えたリンク・レイの有名な写真を等身大に引き伸ばし、それと手に入れたギターリンを比較してみたり、実際にリンク・レイの曲を弾いてみたりしながら、バズる箇所やサウンドの特徴を探ったりと、ディッカーソンは状況証拠を積み重ねて、自分が手に入れたギターリンがリンク・レイがかつて所有していたものであることを追い詰めていくのであるが、その展開はちょっとできすぎた作り話のよう。

上のlinkwray.comでは、リペア前のギターリンの画像もあるが、このギターリンをリペアしたのはスティーヴ・ソースト。ディッカーソンによれば、ソーストはダンエレクトロのエキスパートであり、1990年代のダンエレクトロ・リイシューのときにはコンサルタント的な役割を担った。 http://www.soestguitar.com/5.html
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