テレヴィジョンのダンエレクトロ

2023-02-03 17:43:19 | Music Life
Television - The Full Ork Loft Tapes, 1974


訃報は続く。トム・ヴァーレインが1月28日に亡くなった。死因は明らかにされていないが、短い闘病の後、仲間たちに見守られながら息を引き取ったという。73歳だった。

トム・ヴァーレインの本名はトーマス・ミラーという。ロバート・ジンマーマンが詩人のディラン・トマスにちなみ名前をボブ・ディランに変えたように、トーマス・ミラーも詩人のポール・ヴェルレーヌにちなみ名前をトム・ヴァーレインに変えた。なぜヴェルレーヌから名前をいただいたのかを私は不明にして知らないのだが、そもそも私は彼がどういった詩人たちから影響を受けたかといったことについても寡聞にして知らないのだった。なので推測にものを言わせるしかないのだが、ジム・モリソンやボブ・ディラン、あるいはパートナーだったパティ・スミスからのつながりでギンズバーグなどのビート・ジェネレーションやアルチュール・ランボオ、シャルル・ボードレール、シュルレアリスムといったあたりから影響を受けた、というのはありそうな気がする。ポール・ヴェルレーヌのことは好きだったかどうかもわからないのだが、名前をいただいたのは、英語読みにしたときの語感や響きが独特なので気に入ったから、くらいのことで、それほど深い意味はなかったのではないかと思われる。だいたい「自分の名前がありきたりだから違う名前にしたい」というのはあまりにも文学青年的な若気の至りという気もするが、そうしたところがトム・ヴァーレインとテレヴィジョンの魅力の一つになっているとも思う。

個人的な話をすると、高校生のころ、たまたま聞いていたラジオから流れてきた「ヴィーナス」がテレヴィジョン、トム・ヴァーレインとの最初の出会いだった。一つ一つの歯車ががっちりと嚙み合うような構築的なアンサンブルとそこから飛び出してくるようなギターフレーズに心を奪われた。すぐにレコードを買おうと思ったが、田舎のレコード店では見つからず、テレヴィジョンを聴きたくても聴けないという、悶々とした日々を過ごすこととなった。今では考えられないが、私の高校時代はこんな感じで、聴きたいものを聴くことができないという飢餓状態が慢性的にあって、「マーキー・ムーン」や「アドヴェンチャー」といったアルバムを手に入れることができたのはずいぶんと後のこと、もう大学生になっていたように記憶している(初CD化がなされた1988年か)。聴きこんでいく間にこのアルバムに関するいろいろな情報が入ってきて、「ヴィーナス」での印象的なギターフレーズが実はリチャード・ロイドによるものだったということを知ったりもしたのだが、アルバム全体を聴いてしまった後はそんな細かいことはもうどうでもよくなっていた。



さて、「ダンエレクトロ研究」なので、トム・ヴァーレイン及びテレヴィジョンメンバーのダンエレクトロとの関わりについて書いておこう。トム・ヴァーレインというとフェンダーのジャズマスターやストラトキャスターを使うことが多いのだが、リップスティックピックアップを気に入っていたようで、彼のストラトキャスターにはリップスティックピックアップが搭載されていたりする。テレヴィジョンの初期にはビグスビーを搭載したダンエレクトロの4021を弾いていたことが、残された写真からわかる。この写真には当時まだメンバーだったリチャード・ヘルがダンエレクトロの3412を弾いている姿も見つけられたりするのだが、これはトムが50ドルで買い、リチャードに押しつけたものと言われている。



このほかにもう一枚、いつの時期なのかはわからないが、トム・ヴァーレインが3ピックアップの白いダンエレクトロ・デラックスを弾いている写真が残っている。しかし、残念ながら彼らがダンエレクトロを弾いている姿は映像には残されておらず、ほとんど唯一だと思われるのが、1974年のテレヴィジョンのリハーサル風景を撮影したものである。その映像ではリチャード・ヘルこそダンエレクトロの3412を弾いているものの、トムは改造したジャガーを弾いているし、リチャード・ロイドはテレキャスターを弾いている。



リチャード・ロイドでついでに書いておけば、彼は「リアルタイム」というライヴアルバムのジャケットにダンエレクトロを抱える自身の肖像画を使っていたりするので、決してダンエレクトロと無縁ではないことがわかる。レコーディングやライヴで使用しているかどうかは定かではないが。
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