小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

今年の夏

2008-08-28 01:29:51 | Weblog
今年の夏

今年の夏を記録しておこう。

今年は、一月からの滑り出しはよかった。小説の筆も進んだ。今年は絶好調の年になると思った。しかし、6月5日(木)に大きなミスをしてしまい、パニック状態になった。それ以降、毎日、死ぬ事ばかり考える日々になった。今年で死のうと本気で考えた。
しかし、逗子マリーナに、高校以来、久しぶりに行って、やっぱり死を思いとどまった。
高校の時は、自転車でよく行ったが、今ではもはや車が下駄がわりになってしまっている。ので車で行った。それで、死ぬのを止めにしようと思った。私は逗子マリーナと小坪漁港の景色が大好きである。プールでよく泳いだ。日焼けした。食べ物がやたら偏った。冬は苺ばかり食ってた。8月になって、6月のミスが解決されて、ほっとした。鰻めしを、よく食ったが、途中で厭きて食わなくなった。それと入れ替わるように、焼き鳥にとりつかれて、毎日、焼き鳥を食った。平塚七夕祭りには行かなかった。なぜか、蜜柑ゼリーが好きになって毎日、食った。祭りは二回、見た。大磯に行った。大磯の次の駅の二ノ宮に、私の小学二年で入った喘息の施設がある。今はもう無くなった。高校の時は、二ノ宮から平塚まで海を見ながら歩いた。ダイドーのメロンサワーが美味かった。小妻容子氏の「刺青美浪漫」を三冊買った。「刺青恋縄」を四冊買った。私は小妻容子氏の美しいSM絵画が好きである。それで、「刺青恋縄」を毎日、緊縛されている女の人を可哀相に思いながら見ていた。何とか助けてあげたいと思った。You-Tubeをよく見るようになった。8月からスランプ脱出して、再び、絶好調になった。ミスした、といっても、それほど大したものではない。医療行政の大きな変化のとばっちりを受けたという事である。むしろ、私はその被害者である。この先、医療行政が、どう動くかに私の命はかかっている。けど、生きようと思う。スランプ脱出して再び、小説がかけるようになった。高校野球もオリンピックもほとんど観なかった。高校野球は大阪が優勝したらしい。読書はあまりしなかった。去年は、よく読書した。一晩で長編小説、五冊も読むこともあった。横浜パレードには行かなかった。市民体育館のトレーニングジムに何回か行ってトレーニングした。去年、ボクササイズを教えていた人がトレーニングジムの監視員になっていた。ボクササイズは、5回くらい出たが、つまらなくなって、厭きてやめた。本当のボクシングだったら、やるのだが。春は自律神経微熱に悩まされて、食べられず、点滴の毎日だった。が、真夏になって、完全に治った。今年は花粉症が起きなかった。アパートを大掃除した。外食が減り、コンビニ弁当の毎日になった。研修の必修化によって、医療界が大きく変化している。医局入局者が少なくなり、大学は入局者を募集するようになった。医師の斡旋業者がやたら増えている。二月に車の車検が切れたので、オンボロ車を買い替えようかと思ったが、車検13万だったので、乗りつづける事にした。当然、ガソリンの値上げは痛い。いらない本はブックオフに売った。たいした金にはならないが、捨てるよりは、リサイクルになるし、たとえ千円程度でも金が手に入ると嬉しい。預金通帳の残高が、こわくてなかなか見れなかった。勇気を出して見た。節約して生活すると、結構、預金の減り具合が少ないのがわかった。ホームページにのせてある小説、「ドラゴン怒りの鉄拳」のような事はしなかった。プールに行って小説のアイデアが沸いた。9月は残暑がつづいてほしい。検察が横暴だなんて事、昔っからわかってることじゃないの。日本で最難関の試験である司法試験に通ってるから、検察官はプライドが高いというか、態度がデカイのだ。刑事事件は検察と裁判官の癒着による検察官の出世のための裁判である。アパートから、江ノ島へ出て、国道134号線を海を見ながら走って、由比ガ浜に行って海を見るというのが私のパターンである。日が暮れるのが早くなってきて、さびしい。秋に自律神経がくずれないよう願いたい。今年の冬を乗り越えられる事を切に願っている。
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