小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

梶井基次郎

2008-08-29 02:38:51 | Weblog
梶井基次郎
作家の個別の批評は、別に書きたいと思うが、梶井の文学について書いておきたいと思うので少しにとどめたい。
そもそも、梶井の作品は小説と呼べるかどうか、疑問である。「これが小説だ」という定義がないからだ。梶井は、よく天才といわれる。一言で言って、梶井は自分の感覚を表現することに徹した作家である。今まで、そういう作品を誰も書いたことが無かったからだ。
だが、梶井は、頭をひねって、そういうジャンルを開拓したのではない。梶井は結核に悩まされていて、また、梶井は、あらゆる物事に対して、非常に感覚が鋭敏な感性を先天的に持っていたのである。そのため、梶井がああいう作品を書いたのは、梶井にとっては、必然だったという面がある。梶井の作品を読んでも、小説に面白さを求めている人には、全然、物足りないだろう。梶井は、読者を楽しませる小説を書いているのではなく、自分が表現したい感覚を、小説という形式を使って書いているからだ。梶井の小説は読者を面白がらせようとするエンターテイメントの小説でもなければ、何か自分の思想を主張しようとする作品でもない。だから、梶井の作品に、積極性というものは無い。
また、梶井は、一生懸命、自分の感覚を表現しようとしているが、もちろん、読者は、梶井の感覚を理解することは出来ない。それは、ちょうど、喘息でない呼吸器科の医者が、喘息の感覚が、一生、わからない、のと同じである。
ただ、梶井の作品でも、「器楽的幻想」のように、誰でも体験できる感覚は、理解できる。
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