小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

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なぜテニスコーチは、球出しの練習ばかりして、生徒とラリーをやりたがらないか

2015-02-17 04:24:03 | 武道・スポーツ
なぜテニスコーチは、球出しの練習ばかりして、生徒とラリーをやりたがらないか。

その理由は簡単である。

何もコーチとのラリーに限ったことではなく、ある程度、ラリーが出来る生徒は、自分の実感として、簡単に、わかるはずである。ラリーが出来る中級の生徒は、相手が初級者で、ラリーが上手くなく、ボールを上手くコントロール出来ず、あっちこっちに、打たれると、ボールをとるために、前後左右に、走り回らなければ、ならず、それは、疲れるだけで、気持ちが良くない。そのことは、テニスが出来る人なら、誰でも実感しているだろう。

これが、コーチでも、同じなのである。ラリーを上手く続けて出来ない、初級の生徒は、ボールを上手くコントロール出来ないので、あっちこっちに、打つので、コーチは、前後左右に、走り回らなければ、ならず、それは、疲れるだけで、気持ちが良くない。だから、しないのである。つまり、面倒くさく、疲れて、気持ちの良くないことは、コーチは、しないのである。
その点、球出しの練習では、コーチは疲れないし、生徒が、どこへ打とうが、それを取る必要もないから、楽なのである。
生徒から、月謝として、高い金とってるのに。テニスコーチは、横着で傲慢で、わがまま、なのである。
コーチは上級者(元、選手とかの)とは、ラリーをする。というか、ラリーしか、しない。それは、上級者もコーチも、ボールを完全にコントロール出来るから、コーチも上級者も、ほとんど、動くことなく、疲れずに、速い、コーチにとって、打ちがいのある、気持ちのいいラリーが出来るからである。
テニスコーチなんて人種は、こんなのばかりだから、人間的に魅力のあるヤツは、一人もいない。
彼らの人生など、くだらない。
子どもの頃から、テニス一筋に30年、生きた。他には、何も出来ない。彼らの人生は、

「子供の頃からテニスを練習して、テニスが出来るようになった。学生時代は試合で勝った。上手いヤツとのラリーは気持ちが良かった」

の、それだけである。後世に、何を残すこともなく、おめでたく、アッパラパーのまま、死んでいく、だけである。

ちょっと本当のことを言い過ぎたか。
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