小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ロリータ(小説)(下)

2015-06-21 02:30:49 | 小説
時計を見ると、もう11時を過ぎていた。
「京子ちゃん。降りて」
純が言うと京子は純の背中から降りた。
「もう遅いから今日は寝よう」
純が言うと、京子は素直に、
「はい」
と答えた。
純は京子を洗面所に連れて行き、スーパーで買った歯ブラシを京子に渡した。
「ありがとう」
少女は礼を言って、歯磨き粉をつけてシャカシャカと歯を磨いた。
そしてクチュクチュと口を漱いだ。
そんな日常的な、何でもない仕草がとても可愛らしく見えた。

純は六畳の部屋に蒲団を敷いた。
「京子ちゃん。僕がつかってる蒲団で悪いけど、これに寝てくれない」
「はい」
純は一瞬、まよって京子の顔を覗き込んだ。
京子に逃げられないよう、縛っておこうかと思った。
「おにいさん。私を縛ってもいいよ」
少女は、純の気持ちを察したように、両腕を背中に廻して手首を重ね合わせた。
純は思った。
『縛られては寝づらいだろう。今晩は起きていよう。そして、明日の朝、少女が起きたら、縛って柱につなぎとめ、少女と交代するように少し寝よう』
純はポンと京子の肩をたたいた。
「京子ちゃん。縛らないから、おやすみ。その代わり、明日の朝、京子ちゃんが起きたら、京子ちゃんを縛って、少し寝させてもらうよ」
「おにいさんは寝ないの」
「僕は、ちょっとやることがあるから」
そう言って純は少女の肩を押して促した。
少女は横になって、
「おやすみなさい」
と言って蒲団をかぶって目を閉じた。
やることがある、と言ったが、実際、純はやることがあった。
それは、小説を書くことだった。
純は医者だが、医者の仕事が嫌いで、小説家になることを目指していた。
単に医者の仕事が嫌だから、という理由ではなく、純は小説を書く事が好きだった。
大学時代から文芸部に入っていて、かなりの小説を書いていた。
書いた小説を文学賞に投稿したり、小説を一冊、自費出版までしていた。
だが、なかなか認められない。
プロになるのはきびしい。
だからといって、純は書くのをやめたりはしない。
別にプロでなくてもいいのである。
純は小説を書く事が好きで、それが唯一の趣味だったのである。
純は座卓について、原稿用紙を置いた。
さて、何を書こうかと思ったが、目前の少女の寝姿を見ているうちに、すぐにアイデアが見つかった。
『そうだ。今日の出来事は小説になる。記憶が新しいうちに現実に忠実に小説にしてしまおう』
そう思って純は書き出した。
タイトルは、「ロリータ」とした。
純は記憶をさかのぼって、少女を車でさらった所から書き出した。
書いているうちに、だんだん興がのってきた。
しばらくすると蒲団の方からクークー寝息が聞こえてきた。
寝たな、と思って純はそっと蒲団の所に行った。
少女の寝顔は可愛らしかった。
寝顔は全くの無防備である。
体を動かして少女も疲れたのだろう。
純は嬉しくなって、再び座卓にもどって、小説を書き出した。
2時を過ぎ、3時を過ぎた。
少し睡魔が襲ってきた。
純は前日、当直で病院に泊まった。
何もなかったから、眠れたが、当直は寝るだけでも疲れるのである。
これではいけないと、純はコーヒーを入れて飲んだ。
そして、また小説のつづきを書きはじめた。
だがまた眠気が襲ってきた。
これではいけないと、純は腕立て伏せを20回した。
少女の様子から、まず少女は逃げないだろう。
だが、その保障はない。
もし逃げられたら大変な事になる。
身の破滅である。
純はコーヒーを飲みながら小説を書き、時々、腕立て伏せをして睡魔と戦った。
だが、だんだんコックリ、コックリとやりだした。
ついに純は睡魔に負けてしまった。

  ☆  ☆  ☆

翌日、昼近く、純は目を覚ました。
蒲団を見ると京子がいない。
家中、探したがどこにもいない。
蛻の殻である。
蒲団の傍らにパジャマがあり、制服とカバンが無い。
純は真っ青になった。
逃げられてしまったのだ。
やはり、寝る時、しっかりと縛っておけばよかったとつくづく後悔した。
だが、もう遅い。
純はパニック状態になったが、コーヒーを飲んで、これからどうなるか、冷静に考えてみた。
『京子は、警察に行っただろうか、それとも家に帰っただろうか。やはり家に帰っただろう。昨日、京子は、メル友の病気の友達の家に行くと連絡した。だが親は当然、どこに行って、誰に合ってきたか、根掘り葉掘り聞くだろう。京子が親を納得させるほど辻褄の合う作り話が出来るとは思えない。何かで、ばれて、親に詰問されて、洗いざらい正直に喋ってしまうだろう。京子は電車で帰ったか、タクシーで帰ったか、わからないが、ここの場所はわかってしまうだろう。そうすると自分もわかってしまう。拉致監禁罪である。拉致監禁罪は親告罪ではない。刑事犯罪である。となると自分は刑事事件の犯罪者となる。少女が何と言うかわからないが、世間では当然、いたずらした、と見るだろう。少女を誘拐して性的な悪戯を何もしなかった、などという方がよっぽど不自然である。目撃者がいない以上、一生、疑惑がついてまわる。新聞の三面記事や週刊誌にのる。「ロリコン医者、中一少女を拉致監禁、猥褻行為」病院を解雇される。もはや採用する病院も無い。そもそも医道審議会にかけられて、医師免許を剥奪される。医療ミスや自動車事故で人を死なせても、それらは、過失であって医師免許が剥奪されることはまず無い。しかし、悪質な故意の犯罪では医道審議会の判断で医師免許は剥奪されうるのである』

そう考えてるうちに純は、自分の人生はもう、おしまい、だと絶望した。
その時。
玄関でガチャリと音がした。
さっさく警察か、と純はブルブル震えながら玄関に向かった。
もう純はすべてを覚悟していた。
純は、そっと玄関を見た。
見て純は我が目を疑った。
少女がニコニコ笑って立っているのである。
小脇にスポーツバッグを抱えている。
いったい、どういう事なのか。
「おはよう。おにいさん」
そう言って少女は運動靴を脱いで、家に上がった。
少女は、つかつかと歩いて六畳の部屋に入ってチョコンと座った。
純も座って、少女の顔をまじまじと見た。
少女は何もなかったかのように、落ち着いている。
純は何から聞いていいか、わからなかったが、とりあえず一番、心配している事を聞いた。
「家に帰ったの」
「ううん」
少女は首を振った。
「じゃ、どこに行ったの」
「スーパー」
「他には」
「どこにもいってません」
「警察には」
「行ってません」
「よかったー」
純は、ほっと胸を撫で下ろした。
ともかく、今のところ一応、身の安全が保障されたのである。
「スーパーに何しに行ったの」
「お昼の材料、買ってきたの」
そう言って、少女は、スポーツバッグを開けた。
中には、食パンと卵とトマトとツナの缶詰とレタスが入っていた。
「何で、そんなの買ってきたの」
「おにいさん。私の手作りの料理が食べたいって、昨日、言ったでしょ。だからサンドイッチをつくろうと思って」
純はわけもわからないまま、ともかく少女が無上にやさしい子なのだと感動した。
「おにいさん。お医者さんなんですね」
「うん。どうしてわかったの」
「今朝、起きたら、おにいさんが寝てたから、となりの部屋を見たの。そしたら医学の本が、いっぱいあったから」
「どうして黙ってスーパーに行ったの」
「おにいさん。小説も書くんでしょ」
「うん」
それは理由を聞く必要もなかった。
座卓の上の書きかけの小説を見たのだろう。
「机の上の小説、読んでしまいました」
と言って少女は舌を出した。
「どうだった」
「面白いです。でも私の事、書かれちゃって恥ずかしいです」
と言って少女は頬を赤くした。
純は少女が寝るところまでを一気に書いていた。
「それでね。これから、この小説がどうなるかは、私が、その後どう行動するかにかかっているでしょ」
「うん」
「だから、ちょっと緊張して、おにいさんが困る場面もあった方がいいと思ったの。それで、おにいさんに黙って出かけたの。そしたら、近くにスーパーがあったから、私の手作りの料理を食べたいって言ったのを思い出して、サンドイッチの材料を買ってきたの」
純はすべてがわかって感動して涙が出てきた。
純は少女に抱きついた。
「ああ。京子ちゃん。ありがとう」
純は少女を抱きしめた。
「京子ちゃん。京子ちゃんは僕の女神様です」
「そんなんじゃないです。そんな風に書かれると、ちょっと恥ずかしいです」
少女は照れくさそうに言った。

「おにいさんのことは親にも警察にも言いませんから安心して下さい」
「ありがとう。京子ちゃん」
京子は自分を抱きしめている純の頭をやさしく撫でた。
それは傷つき疲れはてたキリストを抱きしめるピエタの像の姿に似ていた。
「おにいさん。お昼をつくります」
京子がそう言ったので純は京子を放した。

京子は台所に行くと、まな板に、買ってきたパンなどをのせ、サクサクと切り出した。
そして、湯を沸かし、卵を入れた。
京子が調理している姿は、とても可愛らしかった。
すぐに出来て、京子は出来たサンドイッチを冷蔵庫のオレンジジュースなどと一緒に持ってきた。
ツナサンドと卵サンドとトマトサンドが皿にのっている。
「はい。私の手作りのサンドイッチです。でも、サンドイッチなんて手作り料理なんて言えませんね」
京子は、笑いながらオレンジジュースをコップに注いだ。
「ありがとう。十分、京子ちゃんの手作り料理だよ」
いただきます、と言って、純は食べだした。
「おいしい。世界一おいしい」
純はいかにもおいしそうな顔をした。
京子はニコッと笑った。
「京子ちゃんは食べないの」
「私は、お腹が減っちゃったもんでスーパーで炒飯を食べてきました」
純は京子のつくったサンドイッチは全部、食べたかった。
それで、かまわず一人で食べた。
「おにいさんは食事はつくるんですか」
「つくれない」
「じゃあ、食事はどうしてるんですか」
「外食かコンビニ弁当」
「でも、それじゃあ、厭きちゃうんじゃないんですか」
「うん」
「彼女はいるんですか」
「いなかったけど、最近、出来た」
「誰ですか」
「京子ちゃん」
少女はクスッと笑った。
「無理ですよ。歳が離れすぎていますから」
「恋愛に年齢は関係ないよ」
「将来、結婚はするんですか」
「しない」
「どうしてですか」
「僕は病気があって、僕の遺伝子には病気の遺伝子が組み込まれているんだ。だから、子供を生んだら、その子はつらい人生を送る事になる。僕は、そんなかわいそうな事したくないんだ。それに結婚とは女の人を幸せにすることだと僕は思ってる。僕は女の人を幸せにする自信がない。だから結婚しないんだ。それに本当に純粋な人間なんて今まで一度も会った事がない。人間なんて、みんなスレッカラシばかりだ」
「おにいさんは、やさしいんですね。でも、一人だと老後がさびしくなるんじゃないんですか」
「僕は歳をとらない」
「そんなの無理ですよ」
だが確かに、それは事実だった。
純は病弱で体力も無いが、スポーツは出来て、体を鍛えていた。
純は18才の青年以上の引き締まった肉体と柔軟性を持っていた。
「おにいさんが小説を書く理由が何となくわかります。さびしいから小説を書くんですね」
「うん。そう」
「将来、作家になるんですか」
「わからない。なりたいと思っても認められなくては作家になれないからね」
「なれるといいですね」
そう言って少女は微笑した。
「でも、別にプロ作家になれなくてもいいんだ。後世に作品が残らなくてもいいんだ。小説で、僕の子供をつくれれば、それで十分、満足なんだ」
そう言って純は乾いた口を濡らすためオレンジジュースを飲んだ。
「でも京子ちゃんのような、やさしい純粋な子を見ると、創作より現実の生の方に魅力が傾くね。僕の創作の動機は、現実にはいない純粋な人間を描きたい事だから、現実に京子ちゃんのような純粋な子がいると僕は創作する情熱がなくなってしまう。でも、京子ちゃんのような子は世界に一人しかいないだろうし、京子ちゃんとの付き合いも今日限りで、明日から、また孤独になるから、やはり創作しつづけることになるね。ともかくこの小説はいいものになりそうだから、しっかり書いて投稿しようと思う」
「当選するといいですね」
純のくたくだした発言を黙って聞いていた少女は微笑して言った。
京子の腹がグーと鳴った。
純はとっさに気づいた。
お金もそんなに持ってないはずである。
「京子ちゃん。本当はお昼、食べてないんでしょう」
「い、いえ。ちゃんと食べました」
否定する少女の顔は苦しげだった。
純は聴診器を持ってきて京子の腹に当てた。
そして、しばらく、それらしく調べる振りをした。
「京子ちゃん。お腹がキューキュー鳴ってるよ。食事をした後はこういう音は出ないんだよ」
純は医者らしく、もっともらしく言った。
「本当は食べてないんだね」
純が問い詰めると少女はコクリと肯いた。
「じゃあ、昼御飯、食べに行こう」

そう言って純は京子の手を連れて家を出た。
純は車のドアを開けた。
「さあ。京子ちゃん。乗って」
純に言われて京子は助手席にチョコンと座った。
純はドアを閉めると、回って、右のドアを開け、運転席に座って、ドアを閉めた。

純はエンジンをかけた。
京子とこうして車に乗るのは、昨日、京子を無理矢理、車にのせた時、以来である。
あの時は、人に見つからないよう、また少女に逃げられないようフルスピードで飛ばした。
それが、今度は、完全な安心感で、憧れの女性とのドライブ感覚である。
さらった時も今も、少女は大人しくしているという点は同じである。
そう思うと純は愉快な気持ちになった。

「京子ちゃん。これかけて」
と言って、純は少女にマスクを渡した。
マスクをしていれば、人に見つかっても大丈夫である。
京子は、
「はい」
と言って口にマスクをした。
純は、これで安心、と思ってアクセルペダルを踏んだ。
純は、いつも行く近くのスーパーではなく、少し離れたショッピングセンターに行こうと思った。
いつものスーパーでは、顔見知りの店員に見られてしまう。
車は市街地を出て郊外へ出た。
「京子ちゃん。マスクとっていいよ」
「はい」
純が言うと京子はマスクをとった。
純は京子とドライブしているのを楽しみたかったのである。
純は気持ちよく運転した。
純が車に女性を乗せて運転したのは、これがはじめてだった。
「おにいさん。車のキーについているキーホルダーの絵はなあに」
京子が興味深そうな目で見た。
「これ。ああ。これは、ヒピコといって、手塚治虫の『海のトリトン』という漫画に出てくる幼い人魚の絵さ」
純は、海のトリトン、のピピコが好きで、以前、ファンシーショップでたまたま見つけて買ったのである。
純は気持ちいい気分で運転した。
しばしして京子が言った。
「おにいさん。車を止めてくれませんか」
「うん。いいよ。どうしたの」
「あそこにコンビニがあるでしょ。トイレに行きたいの」
確かに、走行車線側の先にコンビニがある。
「うん。いいよ」
純はコンビニの前で車を止めた。
「おにいさん。ちょっとキーホルダーの絵を見せてくれない」
「うん。いいよ」
純はキーを抜いて、京子に渡した。
京子はピピコの絵を興味深そうに見ていた。
「かわいいですね」
京子は純を見てニコッと笑った。
純も微笑した。
「気に入った?」
「うん」
「じゃあ、京子ちゃんにあげるよ」
「本当。じゃあ、もらいます。でも、おにいさんにとって、大切なものじゃないですか」
「いやあ。そんなに大切じゃないよ。京子ちゃんが気に入ってくれた物をプレゼントできる方がずっと嬉しいよ」
「ありがとう。じゃあ、もらいます」
「京子ちゃん。早くトイレに行ってきなよ」
そう言って純は助手席のドアを開けた。
京子はキーを持ったまま車から出た。
「あっ。京子ちゃん。キーは返して」
「だーめ。私がトイレに入っている間におにいさんが、いなくなっちゃうかもしれませんから」
「ははは。そんな事するわけ、ないじゃない」
「それは、わかりません」
そう言って京子はキーを持ったまま、小走りにコンビニに入っていった。
純はドアを閉めた。
片側二車線の道なので、一時停止しても、そう気にする必要もない。
純はリクライニングシートを傾けた。
純は最高の幸福感に浸っていた。
少し前には横断歩道がある。
純がふと反対車線を見ると小さな交番があった。
警察官が机に座っているのが見える。
純は何となく愉快な気分になった。
『ふふふ。今、俺は少女を誘拐している立場にある。なのに、その少女は、こうやって自由に行動している。世の中には、こんな変わった事もあるもんなのだな』
やっと京子が出てきた。
純は笑顔で手を振った。
しかし、京子は無視して少し先の横断歩道に小走りに行った。
純は、どうしたんだろう、と首をかしげた。
歩行者側が青信号だったので、京子は急いで横断歩道を渡って反対車線に渡った。
そして交番に入った。
純はびっくりした。
一体、何のために交番に入ったのだろう。
車の中から交番の中が見える。
京子は警察官に話しかけた。
京子は座って、警察官と話しはじめた。
「ま、まさか・・・」
純は真っ青になった。
交番に入る理由など思いつかない。
だが、京子はさかんに警察官と話している。
純のおそろしい不安はどんどんつのっていった。
京子は純の車を指差した。
警察官は純と純の車に視線を向けた。
もう純のおそろしい不安は確信になった。
純は思った。
『そうか。今朝、外出した時には交番が見つからなかったのだ。いや、もしかすると交番は見つけたのかもしれない。しかし警官に話しても決定的な証拠はない。私が寝てる間に警官を連れてきても、その間に私が起きて、逃げてしまうか、証拠は全て消してしまうと考えたのだ。彼女は頭のいい子だ。だから、こうやって確実な現場を警官に見せて現行犯逮捕させようと考えたのだ。彼女は頭がいい。車のキーをとって、私が逃げられないようにし、彼女が車のキーを持っている事から、彼女が私の車に乗っていたという確実な証拠をおさえてしまったのだ。家に行けば京子のスポーツバッグもある』
考えてみれば、さっきの京子のキーホルダーに関する発言も暗示的なものがあった。
しばし京子は警察官と話した後、警察官と京子は交番を出て、交差点を渡り出した。
「ああ。これでもう俺の人生はおわりだ」
純は覚悟した。
「ロリコン医者少女を拉致監禁。新聞の三面記事。テレビのニュース。週刊誌。ブログでの総攻撃。病院解雇。医師免許剥奪」
そんなものが一斉に頭をよぎった。
交差点を渡ると警察官は純の車の横に立って中の純を覗き込み、窓をトントンとノックした。
純は窓を開けた。
開口一番、
「もうしわけありませんでした」
純は深々と頭を下げた。
「どうしたんですか?」
警察官が淡白な口調で言った。
「はあ?」
純はわけがわからず、顔を上げた。
「いやあ、どうもありがとうございました。よろしくお願いいたします」
警察官はそう言って交番に向かって戻って行った。
京子は車の左側に回って、ドアを開け、助手席にチョコンと座ってドアを閉めた。
「京子ちゃん。一体、どういうことなの」
純は首をかしげて聞いた。
「あのね。用があって電車でこっちの方に来たけど、お財布を落としちゃったと言ったの。それで、家に帰れず困って座っていたら、あのおにいさんが、どうしたの、と声をかけてくれて、事情を言ったら、送ってくれると言ったの」
「何でそんな事したの」
「私がお巡りさんと話しても、おにいさんの事は言わないという所を見せたかったの。これで安心できるでしょ」
純はほっと胸を撫で下ろした。
「京子ちゃん。僕、寿命が一年、縮んだよ」
「でも、これで安心できるでしょ」
「う、うん。確かに、おかげて安心できるよ」
はい、と言って京子は純にキーを返した。
キーには、ピピコの絵のキーホルダーはついていなかった。
「キーホルダーは、さっき、くれると言いましたからもらいます。おにいさんの形見としてとっておきます」
そう言って京子はキーホルダーをポケットに入れた。
純はとっさに笑った。
「ははは。京子ちゃん。形見っていうのはね・・・」
と言った時点で純は言葉の説明をやめた。
「ありがとう」
それだけ言って純はキーホルダーのなくなったキーを差し込んでエンジンをかけ、車を出した。
ほどなくショッピングセンターについた。

車を立体駐車場に止めて、ショッピングセンターに入った。
純は京子と手をつないで洋服売り場に行った。
「京子ちゃん。ここで着替えてほしいから、洋服買って。京子ちゃんの好きなの選んで」
「はい」
純が言うと京子は、さっそく服を探し出した。
どれにしようか、迷っている姿がかわいい。
ようやく決まったらしく、京子は服を持ってきた。
それはジーンズのオーバーオールと灰色のトレーナーだった。
純はあせった。
「おにいさん。これでいい」
京子は笑顔で聞いた。
「う、うん。確かにそれもいいかもしれないね。でも、もっと京子ちゃんに似合うものもあると思うよ」
純はサッと京子からオーバーオールとトレーナーをとりあげると、それを元の場所にもどした。
純は、急いで服を探してもどってきた。
「京子ちゃん。僕はこれが京子ちゃんに似合うと思うんだけと、これじゃだめ」
そう言って純は京子に選んだ服を差し出した。
それは短めのスカートとブラウスだった。
「はい。それにします」
京子は微笑して言った。
「大きさが合うかどうか試着してみて」
「はい」
京子は服を持って、試着室に入った。
ゴソゴソ着替えの音がする。
京子のセーラー服がパサリと床に落ちたのが、カーテンの下の隙間から見えた。
カーテンが開いた。
純が選んだブラウスにスカートを着た京子が立っている。
「どう」
そう言って京子はクルリと一回りした。
「うん。よく似合うよ。サイズは合う?」
「はい」
「じゃあ、それにしよう」
「はい」
京子は再び、カーテンを閉めて着替え、セーラー服を着てカーテンを開けた。
純はスカートとブラウスを持って、京子とレジに行って買った。
「おにいさん。ありがとう」
「いやあ。別に」
京子は例を一言、いっただけで、さほど嬉しそうではなかった。
それは当然と言えば当然である。
服は京子の好みではなく、純の好みで選んだものだったからだ。
京子が選んだのはオーバーオールとトレーナーで、京子はそれが欲しかったのだろう。
しかし、純はそれは、ダサいと思ったのである。
純は女はスカートでなければ満足できないのである。
買った服を京子が、どれほど気に入っているのか、あるいは気に入っていないのか、それはわからない。
純がスカートが好きな理由は、スカートは屈んだり、腰を曲げたり、風か吹いたりするとパンツが見える時があるからである。
「あ。そうだ。京子ちゃん。昨日から下着、替えてないよね」
そう言って純はパンツと靴下を急いで、とって持ってきてレジに出して買った。

純はショッピングセンターの中のトイレに京子を連れて行った。
「京子ちゃん。トイレの中で着替えて。下着も」
そう言って純は、今、買った服と下着を京子に渡した。
「はい」
と言って京子は、服の入った袋を持ってトイレに入った。
しばしして、京子は着替えて出てきた。
ブラウスと膝より少し上までのスカートがかわいらしい。
「これは僕が持つよ」
そう言って純は制服と下着の入った袋を持った。
純は京子とジュエリーショップに行った。
「京子ちゃん。ここで待ってて」
そう言って純は店に入った。
そして10万円の婚約指輪を買った。
「さあ。京子ちゃん。御飯を食べよう」
純はエスカレーターで飲食店のフロアーへ上がった。
そして本格的な高級レストランに入った。
ここからは外の景色が見える。
純と京子は窓際の席に向かい合わせに座った。
ウェイターが注文を聞きにきて、メニューを渡した。
京子はメニューを開いた。
京子は興味深そうにメニューを見た。
純はボーイを呼び、京子の意向を聞かずフルコースを注文した。
メニューは以下の通りである。

アミューズ 
ホワイトアスパラのフリット 
オードブル
フォアグラのポアレ赤ワインソース
スープ
コーンポタージュポタージュ
魚料理
鮭の白ワイン蒸し ハーブ風味
肉料理
糸島豚の岩塩包み焼き 紅茶風味
デザート 
チーズケーキ
紅茶

はじめに出されたオレンジジュースを京子が飲もうとしたので純は制止した。
「まって。京子ちゃん」
京子は言われて手を止めた。
「京子ちゃん。乾杯しよう」
「うん」
京子は笑顔でグラスをさしだした。
カチンとガラスの触れ合う音がした。
「かんぱーい」
京子はコクコクと飲みだした。
お腹が減っていたのだろう。
京子は、入れ替わり出される料理をパクパクおいしそうに食べた。
「おいしい」
「うん」
純が聞くと京子は笑顔で答えた。
「おにいさんは」
「それほどじゃない」
「どうして」
「僕には、京子ちゃんのつくったサンドイッチの方がおいしい」
言われて京子はニコッと笑った。
食事を全部食べ、デザートのチーズケーキも食べた。
「京子さん」
純はあらたまった口調で言った。
「なんですか。おにいさん」
純は照れくさそうな笑顔で京子の顔を見た。
「京子さん。僕と結婚して下さい」
純が言うと京子も微笑した。
「はい。結婚します」
京子は微笑んで言った。
「ありがとう。今日は僕にとって最高に幸せ日です」
「私にとっても最高に幸せな日です」
京子は微笑んで言った。
純は目頭が熱くなった。
とっさに純はうつむいた。
ポタリ。
純の目から涙が落ちた。
純が人間の愛に涙を流したのは今日が初めてだった。
「どうしたの。おにいさん」
「い、いや。なんでもない」
純はすぐにハンカチで目を拭いて顔を上げた。
「はい。京子さん」
純はまた改まった口調で言って、さっきジュエリーショップで買った小さな箱を渡した。
「なあに。これ」
「え、エンゲージリングです」
京子は箱を開けた。
「あっ。かわいい指輪。ありがとう」
そう言って京子は指輪を小指に刺した。
そして指輪のはまった手を嬉しそうに宙にかざした。
「京子ちゃん。それ、玩具じゃないから捨てないでね」
「うん。おにいさんの形見として、大切にとっておます」
「形見・・・か。確かにそうだね。そういう形で僕は京子ちゃんと結婚できるね」
純は独り言のように言った。
「でも京子ちゃんが大きくなって、本当に好きな人が出来て結婚する時になったら、捨ててもいいよ。エンゲージリングを二つ持っていたら、おかしいもんね」
純は愛とは求めるものではなく、与えるものだと思っていた。
純は京子とレストランを出た。

純は京子とショッピングセンター内のゲームコーナーに行って、もぐら叩きなどをして遊んだ。
京子はキャッ、キャッと笑いながら、もぐらを叩いた。
純は京子の本来の姿を見たような気がした。
純は時のたつのも忘れて、京子と色々なゲームで遊んだ。
時計を見ると5時近くになっていた。
「京子ちゃん。もう帰ろう」
「うん」
二人は駐車場にもどった。
純は京子の制服と下着の入った買い物袋を後部座席に置いた。
そして京子を乗せた。
純はカーナビに「シェルブールの雨傘」のDVDをかけた。
そして車をだした。
純は少し急いで家に向かった。
家には京子のスポーツバッグがあるからだ。
渋滞はなく、すぐに家に着いた。
「さあ。京子ちゃん。制服に着替えて」
そう言って純は買い物袋から制服を出して京子に渡した。
京子は浴室の方に行き、着替えて、制服を着てもどってきた。
純が買ったブラウスとスカートを持って。
純はそれを京子からとった。
「これは僕に頂戴。京子ちゃんの記念にしたいから」
「うん。いいよ」
純はそれを買い物袋に入れた。
京子はスポーツバッグを持った。
「じゃあ、帰ろう」
「うん」
「今日はありがとう。最高に幸せな一日だったよ」
「私も楽しかったです」
そう言って京子はニコッと笑った。
純と京子は車に乗った。
「京子ちゃん。ここの最寄駅は××だけど知ってる」
「はい。知ってます」
「京子ちゃんの家まで乗り換えある」
「一回、乗り換えがあります」
「じゃあ、最寄駅まで送るよ」
そう言って純は車を出した。
最寄駅には五分で着いた。
なぜ純が車で京子の家まで送らないかというと、京子は家に連絡をとったものの、もしかすると、京子の親が不審に思って警察に連絡し、非常線が張られているかもしれない、と用心深い純は思ったからである。
純は映画の「レオン」より用心深い性格だった。
京子は切符を買った。
そして改札を通った。
「おにいさん。また来てもいい」
「大歓迎だよ」
夕闇の中で電車がきた。
京子は電車に乗った。
発車の合図が鳴り、電車が動き出した。
京子は窓から笑顔で手を振った。
純も笑顔で手を振った。
純は電車が見えなくった後も少しの間、感動の余韻に浸っていた。

余韻が去って、純は車に戻った。
純は頭が空白になったような気がした。
家にもどった純は、机に向かってさっそく小説の続きを書き出した。
筆か乗ってすいすい書けた。
何か、小説を面白くするためにフィクションの挿話を入れようか、とも思ったが、これは京子との記念の小説なのでフィクションは一切、入れないことにした。
ふと、一休みした時、純の目に買い物袋が目についた。
純の心臓がドキドキしだした。
その中には、今日買った服と、京子が履いていたパンツと靴下がある。
純は買い物袋を持ってきて、そっと京子のパンツを取り出した。
二日はいたパンツなので、少し汚れてシミが出来ていた。
純はパンツを裏返して、シミの所に鼻を当てた。
「ああ。京子ちゃん」
純はパンツの匂いを貪り嗅いだ。
靴下も取り出して匂いを嗅いだ。
靴下の方がはっきりと強い体臭がした。
純は、しばし、京子の下着の匂いを嗅いだ後、買い物袋にもどした。
京子は今、どうしているだろう。
もう家についているだろう。
親に叱られたり、詰問されたりされていないたろうか、と色々と不安がよぎった。
しかし仮にばれてしまったとしても、悪戯もしないで、ちゃんと家に返し、京子も合意してくれたのだから、まずそんなに問題ないだろうと思った。
そう思って純は、再び小説の続きを書き始めた。
時間の経つのも忘れて。
とうとう純は、京子を帰して夜遅くまで小説を書いた今の所まで書いた。
もうその続きは書けない。
時計を見ると2時を過ぎていた。
純は歯をみがいて、パジャマに着替え、ふとんに入った。
傍に、昨日、京子に買ったパジャマがある。
純はパジャマにも鼻を当てて、匂いをかいだ。
そして、パジャマも買い物袋に入れた。
そして床についた。

その時、メールの着信音が鳴った。
開いてみると京子からのメールだった。
「おにいちゃん。おにいちゃんが寝てる間に携帯のメールアドレスをメモしてしまいました。うまく説明して親も疑ってないよ。私、メル友が死んだと涙まで流してお芝居したよ。親は警察に連絡してなかったよ。今度の土曜、また行くね。 京子」

純は飛び上がらんばかりに嬉しくなった。
「ありがとう。京子ちゃん。楽しみに待ってます。でも何か、やりたい事ができたら無理しないでね」
純はそう書いて返信のメールをすぐに送った。
すぐに京子から返信のメールが来た。
「土曜は用はありません。ので電車で行きます。10時頃、駅に着くよう行きます」

  ☆   ☆   ☆

次の土曜になった。
純は車で駅に行った。
メールのやりとりは、あまりしなかった。
京子がメールにはまって、勉強がおろそかにならないよう配慮したのである。
メールは一日、一回にしようと純はメールに書いて送った。
10時近くになった。
電車が来た。
ドアが開くと京子が飛び出して笑顔で走ってきた。
純も手を振った。
「おにいさん。ずっと会いたかった」
京子は改札を出ると大声で言って純のふところに飛び込んだ。
「僕もずっと会いたかったよ」
そう言って純も京子を力一杯、抱きしめた。


平成20年11月26日(水)擱筆





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