小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

WBC 内川聖一

2013-03-20 16:23:01 | 武道・スポーツ
ダブルスチールと間違えて走ってしまった内川聖一。
野球に限らず、団体競技でミスはつきものである。内川は、ダブルスチール出来ると思って走ってしまって、
「僕のミスのせいで、三連覇できなくなってしまって、応援して下さった日本の皆様に申し訳ない」
とインタビューで涙まで流した。しかし、野球に限らず、団体競技でミスはつきものである。ミスではないが、チャンスの時、打てなかったり、ゲッツーにされてしまったりしたバッターは、今回のWBCでは、いくらでもいる。
あの内川の涙は、本心のように思える。しかし、そういうふうに、謝ってしまうところに内川の人間的な魅力がある。ソフトバンクに移籍してリーグ優勝した時に泣いたのも内川一人である。「負けたのはオレのせいだ」と責任感を一人で背負ってしまうのは、うつ病気質の性格である。だが、まあ内川が、うつ病になるとは考えにくい。彼は、踵の骨脳腫や顎による神経障害まで経験している。逆境を経験している。

さて、成田空港に着き、新幹線で、福岡の自宅に着いた内川であるが。
ピンポーン。チャイムが鳴った。
「ただいま」
うつむき加減に内川が立っていた。
「あなた。お帰りなさい。ごくろうさまー」
元、アナウンサーである翼夫人が、ことさら笑顔で出迎えた。
だが内川は、黙ったまま、居間に進み、ソファーに腰かけた。内川は何も喋ろうとしない。頭を抱えたまま、下を向いている。しばしして、ボソッと内川が声を出した。
「僕が悪いんだ。僕のせいで負けてしまったんだ」
内川の背中には見えざる責任感が重くのしかかっているように見えた。
「あなた。そんなことないわ。そんなに自分を責めることないわ。野球はチームプレーよ。むしろ、そうやって、負けたのは自分のせい、などと思うことの方が思い上がりだわ」
翼夫人が強気の語調で言った。
「思い上がり、ってどういう意味なのかね?」
内川が聞き返した。
「野球は団体競技だわ。負けたのは自分のせい、などと考えるのは、自分の存在がチームの実力であるような感覚だからだわ。そんなの、むしろ傲慢よ」
翼夫人が言った。
「そうか。言われてみれば、ソフトバンクに移籍して三番をまかされるようになってから、いつの間にか、自分の力がチームの勝敗を決める、というような、思いになっていたな」
内川は、自分に言い聞かせるようにボソッと言った。
「そうよ。だから、もう自分を責めないで」
翼夫人が慰めるように言った。
「そうだな。セ、パ両リーグで首位打者をとって、バットコントロールが日本一などと、もてはやされるようになってから、自分でも気づかない内に思い上がっていた」
内川は顎をさすりながら言った。
「そうよ。そういう思い上がりの気持ちがあるから、肉いがいの料理は食事に出すな、とか、トマトは、食事に出すな、などと言うようになるのよ」
翼夫人は、少し不機嫌そうに言った。
「す、すまない。君に対しても、僕は、わがままになっていた」
WBCのミスと、自分の思い上がりが内川に激しい罪悪感をもたらした。
「じゃあ、これから肉いがいの魚料理も食べてくれる?」
「はい」
「トマトも食べてくれる?」
「はい」
いつの間にか内川の言葉使いは卑屈になっていた。
「翼。僕を叱ってくれ。僕はこわくて町を歩けない。みんなは、慰めてくれるけれど、叱られた方がどれだけ心が落ち着くことか。僕は一億人の日本人みんなが怖いんだ」
内川はすがるように言った。
翼夫人は、しばし黙っていたが、意を決したようにパッと夫を見た。
「わかったわ」
翼夫人は落ち着いた口調で言った。
「じゃあ、私の前で土下座しなさい」
翼夫人は命令的な口調で言った。内川は、翼夫人の前で、頭というか顎を床につけてひれ伏して土下座した。
「さあ。私を日本国民の代表だと思って。そして日本国民と私に対して誠心誠意、謝りなさい」
翼夫人は、膝組みをして、タバコを吹かしながら言った。
「日本の皆様、翼さま、今まで、本当にもうしわけありませんでした。心よりお詫び致します」
内川はペコペコと頭を下げて謝罪の言葉を言った。
翼夫人は、内川の頭をグイグイと踏みつけた。
「ああー」
内川は苦しげに顔を歪めた。翼夫人はスリッパをとると、素足の足指を夫の顔の前に突きつけた。
「さあ。足をお舐め」
夫人は、素足で内川の頭をグイグイと踏みつけた。
「は、はい。翼さま」
そう言って内川は翼夫人の足指を一心に一笑健命にペロペロと舐めた。
一時間くらいが過ぎた。
「ねえ。もういいでしょ。あなた」
翼夫人が夫に声をかけた。夫人は、いささか気の毒そうな表情だった。
内川は、夫人の足を舐めるのをやめた。そして顔を上げた。
「はあ。何だか、気持ちがおちついたよ」
そう言って内川はソファーにもどって座った。その表情には安堵があった。
「あなた。じゃあ、夕食にしましょう」
夫人が言った。内川は立ち上がって食卓についた。
「あー。腹がペコペコだよ」
内川の腹がグーと鳴った。
夫人が台所から料理を持ってきた。それをトンと食卓の上に乗せた。
「ああっ」
内川は、それを見て叫んだ。
なんと、内川の嫌いなトマトが五つ、生のまま、皿に乗っており、おかずは魚料理だったからである。
「さあ。あなた。罰として、今日の夕食はこれよ。これを残さず全部、食べなさい」
夫人は厳しい命令的な口調で言った。
「わ、わかったよ」
内川は、ウゲーとでも言いそうな、げんなりした顔で、手を震わせながら生のトマトを手にとった。内川が目をつぶってトマトをかじろうとした時、
「まって」
と翼夫人が制した。
それはアブラハムが息子イサクを神の命令によって殺そうとするのを、神がとめたタイミングとほとんど同じだった。
「ごめんなさい。あなた。今のは、あなたの思いが本気かどうかを知るためのテストだったの。あなたが本気だということがわかったわ。今のはテストだからね。私がそんなに厳しい女だと思わないでね」
夫人はそう言って、内川の持っていたトマトをとりあげた。そして、トマトと魚料理を台所に持って行った。そして、夫人は別の料理を食卓に持ってきた。それは内川の好きなビーフステーキだった。
「はい。あなた。あらためてWBC、本当にお疲れさまでした。今日の夕食は、あなたの好きなビフテキです。さあ。食べましょう」
そう言って翼夫人も食卓についた。
「君。こんなに遅くまで、僕の帰りを待っていてくれたのか?」
「ええ」
「あ、ありがとう」
内川は涙ぐみそうになった。
「あなた。もう泣かないで」
翼夫人は、二人のワイングラスに赤ワインを注いだ。
「さあ。あなた。ワインを持って」
翼夫人が言った。内川は、ワイングラスを持った。
「WBCでの、侍ジャパンと、あなたの活躍を祝福して・・・カンパーイ」
そう言って翼夫人は、二人のワイングラスをカチンと触れ合わせた。
ワインを飲んでから、内川は、ジュージュー音を出しているビフテキを食べ出した。
「ああ。うまい」
内川は、ハフハフ言いながら、ビフテキを食べた。
ふと前を見ると、翼夫人は、ビフテキを食べずに、ニッコリと黙って内川を見ている。
「翼。君は食べないの?」
内川が聞いた。
「いいの。私の分も食べて」
そう言って翼夫人は、自分の皿のビフテキを夫に渡した。そしてパタパタと台所に行って、さっき出した魚料理を食卓の上に置いた。
「私は、これを食べるわ」
そう言って、翼夫人は魚料理を食べ出した。
「ありがとう。君は優しいな」
また内川の眼頭がジーンと熱くなった。
「あん。あなた。泣かないで。涙もろいのは、いいけれど、あなたは、ちょっと気が小さ過ぎるわよ」



まだ続きます。
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