小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ブルース・リーの流派批判

2010-01-28 20:51:53 | 武道・スポーツ
ブルース・リーの流派批判文を読んで、一生懸命、武道に励む人は訳がわからなくなってしまう可能性があるのではないかと思う。ブルース・リーが、あんな事を言っていたと知って驚いた人も多いだろう。「ブルース・リーほどの武道の天才が間違った事を言うはずはない。では自分が今している武道の訓練は間違ったことなのか?」と。既成の武道を学ぶ事は悪い事ではなく、むしろ逆であり、それ以外に武道を学ぶ方法はないのである。そもそも、学ぶ、とは、まねぶ、が語源であり、真似る、ことが学ぶ事の基本なのである。ブルース・リーは、自分が到達した最終的な境地からの視点から発言がほとんどであり、いささか説明不足な所がある。物事は全て順を踏まねばならず、たとえば数学を学ぶ場合、いきなり相対性理論をおしてえても、消化不良になり、頭がこんがらがってしまうだけであり、数学を学ぶにはまず因数分解から学ばなければならない。ブルース、リーは、こういう事を説明していないのである。それは時間がなかったからか、自分が伝えたい最高の精神をてっとり早く教えたかったからか、あるいは、教師としては、生徒がわかるように、わかりやすく丁寧に教える説明能力が劣っていたか、あるいはわざと教えなかったからか、のどれかだろう。ブルース・リーは自分は武道家としては優れていたが、武道の教師としては、生徒には分かりやすい説明が出来なかったか、あるいは、意図的にしなかったかのどちらかだろう。意図的にしなかったとしたら、ずるいとも言えるが、限られた現実の時間で最高のものを教えるためには仕方がなかったとも言える。ともかく武道を身につけるためには、既成の流派や型というものを抜きにして武道は学べないのである。ここらへんの事は、以前、ホームページに書いた「武道雑感」にも書いた。自分の文ではあるがそこを一部、抜粋しておこう。よろしかったらホームページの「武道雑感」も読んでみて下さい。

「ブルース・リーは、型や、流派の戦い方にとらわれるな、と力説した。これは、実はリーが、詠春拳という、一つの流派を極めてしまったから、である。もちろん、武術の達人になるには、一つの流派に身をおいて、それを極めなくてはならない。しかしリーは、流派を極める事の裏にある弊害をも知っていた。流派を極めれは、もはや、流派の拘束から、抜け出る事が出来なくなるのである。そののち、リーは、様々な格闘技、武術、を研究したが、やはり一つの流派を極めてしまうと、もはや自由な戦いというものは、困難になる。しかし、武術を極めるには、何かの流派に属し、その流派を極めねばならない。これは武術が持つ根本的な矛盾といえるだろう。」
(浅野浩二「武道雑感」)

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またランキング入り

2010-01-28 16:31:11 | Weblog
1月27日(木)もランキングに入る。
1357892位中、8258位だった。
193IP。789PV。

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