「道」を求める人はたくさんいます。
しかし、求めても求められない人がいるのはどうしてでしょうか。
それは、「求める方向が違っていた」のです。
例えば、お経を詠む読むにも「覚者」はそのお経のあり方というものの
要点を知(識)っています。
「他者」は知(識)らずに経論の教えに従って取り扱いをすると言うことの違いです。
私たち衆生は考えを持って困っています。
この考えから離れるには一体どうしたらいいのでしょうか。
そのところを道元禅師は、
「自分の為でもない、他人の為でもない、人間(にんげん)的な欲求ということ
ではなしに此の物自身の真相(六根自体)まかせにしてご覧なさい」
と、お示しになりました。
しかし、今まで自分で「求める方向が違っていた」というそういう習慣が
多くの人にはあるものですから、お示し通りになかなかいかないのが
実体(実情)なのです。