ある修行僧が師匠に尋ねました。
「私はすっかりものを捨てて、もう捨てるものがなくなりました。これからどうしたらいいのでしょうか」
と。
「放下著 (ほうげ じゃく)」
師匠は答えました。
「放下著」とは、【ない】というものを【捨てなさい】ということです。
修行僧が又尋ねました。
「ないものを、どうして捨てることが出来ますか」
師匠、答えて曰く
「擔取 (たんしゅ) し去れ」
と。
「擔取」とは、担いでいるということです。
ですから、「そんなに捨てることが嫌ならば、担いでいなさい」ということです。
常識から考えてみると、「捨てる」ということと「担いでいる」ということは、全く逆のことです。
しかし、「実相は無相である」ということから言えば、「捨てる」ということも「担いでいる」ということも、「ものそのもの」には、捨てるものも 担いでいるものもないはずです。
別の言葉で言えば、「担ぐ自分」と「捨てる自分」というものも、【ひとつの実相の上の働き】ですから、それは同じ事になるわけです。
「私はすっかりものを捨てて、もう捨てるものがなくなりました。これからどうしたらいいのでしょうか」
と。
「放下著 (ほうげ じゃく)」
師匠は答えました。
「放下著」とは、【ない】というものを【捨てなさい】ということです。
修行僧が又尋ねました。
「ないものを、どうして捨てることが出来ますか」
師匠、答えて曰く
「擔取 (たんしゅ) し去れ」
と。
「擔取」とは、担いでいるということです。
ですから、「そんなに捨てることが嫌ならば、担いでいなさい」ということです。
常識から考えてみると、「捨てる」ということと「担いでいる」ということは、全く逆のことです。
しかし、「実相は無相である」ということから言えば、「捨てる」ということも「担いでいる」ということも、「ものそのもの」には、捨てるものも 担いでいるものもないはずです。
別の言葉で言えば、「担ぐ自分」と「捨てる自分」というものも、【ひとつの実相の上の働き】ですから、それは同じ事になるわけです。