たまたま坐禅というものが、どうしても自己を忘ずるための手段や方法になりやすい
のです。
だから指導者は、「坐禅に成りなさい、妄想に成りなさい、分別に成りなさい、
見たものに成りなさい、聞いたものに成りなさい、其のもの其れに成りなさい」
というのです。
これが「自己を忘ずる」ということです。
お間違いのないように、そのことだけは自分でよく「理(理論)」として
理解して頂きたく思います。
特別に新しいことを見たり、聞いたり、求めたりする訳ではありません。
いつものことです、平常のことです。
ですから「自己を忘じよう」ということは、もう本当に思う必要はありません。
考える必要もありません。
「今の自分のやっていることに成り切る」、そのように努めて頂きたいと思います。