ところが、私たち衆生はどうしても「無い」ものを「有(在)る」と認める
「我見」というものが中心になって「善悪(是非)」を比較して見るという習慣が
付いてしまっているために、人の考えとして悪いものを無くしてしまえば
後は善いものだけが残るだろうという考えになりがちです。
ところが、対照として善悪が有(在)って、悪いものが無くなれば当然対照
になる善もありませんから、一方(悪)が無くなればもう片方(善)も無くならないと
いけない訳です。
おシャカ様の考えというのは、全て「結果」からものを見て説いています。
ですから、「結果に未だ到らない者が、おシャカ様の教えだけ見て分かったとか
分からないとかということを言うのは本当は有り得ないこと」なのです。