「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」の働きのなかで、一番難しいのは「意(心)の働き」です。
「意(心)」というものは姿形を見ることが出来ませんけれども「他の五根」
と同じです。
しかし、他の五根はものが映る、聞こえる、嗅ぐ、味わう、触れるという
ことだけで終わるものですが、「意(心)の働き」というものは、なかなか
それだけでは終わらないのです。
例えば、一つのものを考えたとします。
そうするとその考えをもう一つ考えに考えを重ねてドンドン考えていって
しまうようになるのです。
それが「意(心)の働き」です。
眼や耳のように見たらみたまま、聞こえたら聞こえたままにということが
なかなかならないのです。
「六根」は元々鏡の如きものですけれども、この「六根」から入るさまざまな
様子の「六境(六塵)」に私たち衆生は縛られているわけです。