「因縁・縁起説」とは、ものの有(在)ることを説明したものではありません。
「もともとものの認めようがないこと」を説明したものです。
もともと「私」という存在は有(在)りません。
あるときから「私」を認めたのです。
これを「自我」といいます。
「自我」というものだけが「生死」を繰り返しているのです。
ですから、「自我の正体」さえ自分ではっきり見極めることが出来れば
「生死」を超越したところで、私たちは「今」、日常生活を営んでいると
確信出来ると思います。
「覚者のいう自己」というのは、中心のない、何処にもつかみ所の無いそういう
「自己」のことです。