私たち衆生は習慣で「此の物(自分自身)」を無条件で認めがちです。
何故ならば「ものが在るという考えの中で生まれてきた」から「ものが無い」
ということは普通では考えられないのです。
人間(にんげん)が「認識」を起こして認めることの出来る時間というのは
必ず「過去(過ぎ去ったこと)と未来(未だ来ない)」のことだけなのです。
人間は相対的な二つの考えを「同時に考える」ことは出来ません。
ですから、本来「ものを比較して見る(善悪を比較して見る、是非を比較して見る)」
ということは不可能なことなのです。