活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

原因・結果2

2019年12月15日 | 法理

私たち衆生は習慣で「此の物(自分自身)」を無条件で認めがちです。

 

何故ならば「ものが在るという考えの中で生まれてきた」から「ものが無い」

ということは普通では考えられないのです。

 

人間(にんげん)が「認識」を起こして認めることの出来る時間というのは

必ず「過去(過ぎ去ったこと)と未来(未だ来ない)」のことだけなのです。

 

人間は相対的な二つの考えを「同時に考える」ことは出来ません。

 

ですから、本来「ものを比較して見る(善悪を比較して見る、是非を比較して見る)」

ということは不可能なことなのです。