経営者は経営者に成り切る、商人は商人に成り切る。
それが「仏道」です。
そのために「坐禅」をするなら大いに結構なことです。
しかし、「坐禅」をするといつの間にか「仏心(ほとけごころ)」が出て来て
しまうものです。
「仏心」が出て来ますから、経営者は経営者に、商人は商人として本当に
「個」に成り切れないのです。
それで、失敗するのです。
「商人」とは、損をしたとか得をしたとかということは第二、第三の問題
なのです。
いかに自分が「商人」に徹するかということだけなのです。
「坐禅」も同じです。
このことは道元禅師も「坐禅は坐禅なり」とおっしゃっています。
説明を要しません。
「坐禅は坐禅なり」とならないといけないのです。
「坐禅をする時どういう気持ちで坐ったらいいのか」というようなことは
「不必要」なことなのです。