私たち衆生は、自分が自分であることに間違いないのに、私が一番不思議
なのは、多くの人が自分自身のことが自分自身で信じられないということです。
信じたいけれども信じられないのではないでしょうか。
こんなに確かな「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」が自分にあって、自分で
使いつつあるほど確かな自分であるのに、これをどうして自分で信じて生活
出来ないのでしょうか。「活かして生きていけない」のでしょうか。
ですから、「本当の自分とは」と、何処かへ尋ねて行こうとするのです。
どうしたら「本当の自分」が見つかるんだろうと思ってとんでもない方向に
進んで行こうとするのです。
それは、それをはっきり指示する教え(指導者)がないからです。