ですから「此の物」は四大そのものの結合体としての作用体なのです。
この中に「種」はないのです。
みんなこの「四大」が結合しただけなのです。
「此の物」は一切の活動をしながらどんなに作用しても何にも作用した
跡形はないのです。
きれいさっぱりと只、その時その時に活動して、そして活動しっ放しで
終りです。
そこに「宗(しゅう)に帰す」という「無生」といわれる「法自体」の動きが
あるだけなのです。
ですから「此の物」は四大そのものの結合体としての作用体なのです。
この中に「種」はないのです。
みんなこの「四大」が結合しただけなのです。
「此の物」は一切の活動をしながらどんなに作用しても何にも作用した
跡形はないのです。
きれいさっぱりと只、その時その時に活動して、そして活動しっ放しで
終りです。
そこに「宗(しゅう)に帰す」という「無生」といわれる「法自体」の動きが
あるだけなのです。