活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

現実世界を考える2

2018年04月25日 | 法理

結論からいえば、もともと「現実世界」には、「善悪」と呼ばれるもの自体が

存在しておらずそこに在るのは「立ち位置の違い」だけです。


争いは「正義」がぶつかり合う時に起きます。

「聖戦」は「善」として存在が可能なのでしょうか?


善を思い、死を思うことは、死を作り生を作り上げることになるのではないでしょうか?


人間(にんげん)は善と悪の両面に通じ、両面で生活することになるのです。

そこに人間としての「尊さと悲しさ(哀しさ、愛しさ)」が生じて来るのです。