要は「分からないということだけに成ること」です。
別の言い方をすれば「分からないということになってしまうこと」です。
「分かる分からない」ということに全く関係ないことが「道」なのです。
ですから「道」は無くなりません。
何故ならば「道」はもともとあるものではないからです。
ですから「無くなりようが無い」のです。
「分からないということ」は「分からないということ」に因って
「分からないということ」を無くすることが出来るのです。
人間(にんげん)の”クセ”で、「分からないもの」があってはいけない、だから
一生懸命に修行して「分からなくてはならない」と考えて修行してしまうのです。