「縁と一つに成る」というと、「怒りが出れば怒りのまま怒っていても善いではないか」
という人が出て来るかもしれませんが、そういうことではありません。
「縁と一つに成る」とは、特別に怒りをどうするということではないのです。
「怒りは怒りに因ってしか摂める(納得する)こと」は出来ないのです。
別の言葉で言えば、「そのものはそのものに因って、そのものを摂める修行」
が必要なのです。
具体的には「そのままにしておくこと」です。
「一切自分の考えを入れないで、今の事実に徹すること」です。
私たち衆生はどうしても一度自分の考えというものを手放してみる必要があるのです。