広辞苑によると 「人間(にんげん)」 の項で
①に 「人の住む所、世の中、世間、じんかん」 とあります。
又、新字源には、「漢文では原則として、人の意と区別して、(じんかん)と読む」 とあります。
即ち漢文では、
「人間到処有二青山一」 (じんかん いたるところ せんざんあり)
「人間萬事塞翁馬」 (じんかん ばんじ さいおうがうま)
とあります。
「無門関」 の 「平常心是道」 (びょうじょうしん ぜどう) では、
「人間好時節」 (じんかんの こうじせつ) と、読みます。
私は旧稿 「衆生について」、「人間(此の物)の構造 1」 で論及しましたが、
私たちは元々一つの種があって、そこから生まれてきたものではありません。
ものの実体というのは、色々なものが集まって出来たものですから、元々あるはずがないのです。
「此の物」 というのが一番適切な表現だと思うのですが、
私たちは 「此の物」 を「人(にん、ひと)」 といいますが、「此の物」 は 「人」 ではありません。
「衆生」 なのです。
つまり、本来 「すべてのものと同じ」 なのです。
「人」 と認めようがないのです。
何故ならば、終始変化し続けているからです。
私たち衆生は六根の働きそのものがあるという事だけなのです。
六根の働きは、此の物の機能ではありません。
動植物と同じように働きそのものの状態だけがあるということです。
ですから、「人間(にんげん」 と 「人間(じんかん)」 の違いをはっきり認識して
「智慧」 を持ってこの 「娑婆世界」 を活かして生きて欲しいと思います。