般若心経の中に
「無智亦無得 以無所得故」
[智も無く、また得も無く、所得無きを以っての故に]
という文言(もんごん)がありますが、我見を離れた考えをもつことが出来る人を 「智者(ちしゃ)」 と言います。
我見から離れさえすれば、生まれたままの垢や塵もつかない 「清浄無垢 (しょうじょう むく)」 な自分というものが誕生します。
けれども、一度は死ぬほど迷ったり、不安を持ってみないと、おシャカ様や歴代の覚者といわれる方々のご苦労なさったような 「本性 (ほんしょう)」 を見極めることは難しいことです。
どんなに考えだけを働かせても我見はなくなりません。
ですから、「我」 をなくすことは本当に大変なことですが、おシャカ様や歴代の覚者といわれる方々のお示しに従っていけば、必ず 「我」 がなくなることも「事実」 です。