活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

分からないということ 2 「人の計らい」

2016年01月22日 | 法理

「分かる、分からない」は、「人の計らい」です。

自分というものが本当になくならないと、「分かること」は計らいではない、「分からない」方がおかしいと考え違いをしてしまいやすいものです。

 

「分からない」という事ほど、善い事はないのです。

ですから、「分からない」という事に徹していただきたい。

徹するとは、善い事も悪い事もなくするという事です。

 

「分からないもの」を「分からない」ままにしておく、という事ではありません。

「分からないもの」を「分からない」と、どう自分自身で証明するかという事なのです。

 

具体的には、自分の思惑を差しはさまないで、「今の事実」に一切手を加えないで生活することです。

「そのままでよかった」と言う事は、修行(今の事実に徹する)して、始めて知るのです。

 

それを仏教では「新帰元(しんきげん)」 “新しく元に帰る” と言います。