平等と「差別(しゃべつ)」のどちらにも片寄らないような生活をすることは、大変な努力が必要です。
どちらかというと、今のような時世になると、「平等を主張する」あるいは「差別(さべつ)を主張する」ということで、どうしても彼他彼此(がたぴし)することが多いのです。
本来からいえば、「平等にも陥らず、差別(しゃべつ)にも堕せず」というところが、「今」ということです。
「今をいかにして守っていくか」、これが非常に大切なことで、努力が必要なのです。
その努力の実ったところを、梅に例えて
「梅は寒苦を経て、清香を発する」
と、言われています。
「平等にも陥らず差別にも堕せず」という、そういう今の生活を徹底して自分のものにしていくということを、一年のはじめに誓願として誓うのが門松を飾るという本来の意味です。
「松」は年中色が変わらないということで「平等」を。
「竹」は上下に節があるということで「差別(しゃべつ)」を。
「梅」は非常に寒い時期に咲く花で、「良い香りを醸し出す」ことを。
それらをかたどったものが、門松です。
「元日や 今年もあるぞ 大晦日」
「門松や 出世の旅の一里塚 目出度くもあり 嬉しくもあり」